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特集☆院生インタビュー「本、そして文学との出会い」

前回(「院進学について」)に引き続き、院生インタビュー大二弾!
今回は、森迫さんとの本や純文学との出会いを聞いてみました。


伊藤
次は、文学に関しての質問をいたします。大雑把な質問になるんですけど、記憶している限りで、自分が一番初めて読んだ本、自分の本との出会い、文学との出会いというものを教えていただけませんか?

森迫
それは、意識的に何か読み物を摂取しようとしてはじめたところ、ということですか?

伊藤
そうではなくて、本を読もうと思ったきっかけですね。例えば僕は、小学校二、三年くらいのときに怪傑ゾロリとか、ズッコケ三人組とかを読んだのが、読書体験のはじめということになるんですけど……。

森迫
はいはい、なるほど。

伊藤
僕は、そこからいろんな本を読んでみようと思ったんですよね。そういった類の経験をお聴きしたいと思っています。

森迫
小学生の頃から掘り起こすんだったら、『地獄堂霊界通信』シリーズ。悪がきシリーズっていえばいいのかな。確か作者は、香月日輪って言う人で、『妖怪アパート』シリーズ書いて、最近、人気だった作家さんですかね。

伊藤
その本は、どこで読まれてました?

森迫
学校の図書室でした。エンターテインメント作品で、イラストも入ってましたから、読みやすかったんですよね。妖怪と人の心の何かを結びつけるようなエンターテインメント作品、非常に面白かった覚えがあります。そこから色々と探し始めてなぜか『十五少年漂流記』を読んだりもしました。もうどんな話だったか覚えてないけど、『海底二万マイル』も読んだ覚えがありますね、小学生のときに。

伊藤
僕はそういう冒険小説系を読んだことがなくて……。いつかは読みたいと思ってるんですけどね。

森迫
本を読んでみようと思ったきっかけは、やっぱり楽しかったからですね。

伊藤
やっぱり、そうですよね。……それで、そういう本と、文学、所謂「文学」の方というか、純文学というのは、また雰囲気が違うじゃないですか。

森迫
そうですね。

伊藤
純文学、例えば実篤だったりとか。そっちの方面に興味を抱いたきっかけを教えていただけますか?

森迫
ううん……(考え込む)。

伊藤
あ、でもそうか、何を以て……。

森迫
そう、何を以て、所謂「文学」とするのか。

伊藤
本が好きなら、本を読むだけって言う人がたくさんいるじゃないですか。今流行っている作家で言えば、宮部みゆきとか。

森迫
東野圭吾とか。

伊藤
そうですね。

森迫
そっちではなくて……?

伊藤
「自分は純文学が好きだ!」という気持ちをお持ちだと思うんですよね。で、それはやっぱり、僕らが勉強したり、研究の対象にしたりすることじゃないですか。その方面に向かおうと思ったきっかけをお伺いしたいです。

森迫
それなら、レポート書いたのがきっかけですかね。

伊藤
もう、大学に入ってからですか?

森迫
そうですね。だから、文学については、意外と何も知らない状態で入ってきたんですよね。高校生のときに橋本紡のライトノベル『半分の月が上る空』を読んで、だけど、古典の授業も面白くて。じゃあ、自分が面白いて言われてるルーツってなんなんだろう、とうことしか考えてなくて文学部に入ってきたので。

伊藤
あー、「面白い」ですか。

森迫
そう、「面白い」。で、じゃあその文学作品が残ってるっていうのは、何かしらやっぱりその時代その時代で面白かったりしたから残っていったんだという風に思って。じゃあ、人々は何を残して来たんだろう、どうして残して来たんだろう、みたいな。実際に、自分が読む対象としての文学作品んを選んできたのは、例えば概論の授業で夏目漱石の『坊ちゃん』についてレポートを書いたときに、「あれ、これは読みやすいぞ!」と思って。

伊藤
そうですね、あれはすごく読みやすいですね。

森迫
気に入らない奴を坊ちゃんがぶん殴るみたいな話じゃないですか(笑)

伊藤
そうですね(笑)

森迫
あ、これも文学かと思って。レポート書いたら、意外にいけたんですよ。だから「あ、文学も良いな」と。

伊藤
『坊ちゃん』ですか。『坊ちゃん』は読みやすくて良いですよね。僕、漱石は『虞美人草』とかで躓いちゃって。だから、やっぱりギャップがあるんですよね、文学の世界って。そこの、難しいところを究められる人っていうのは、何が違うんですかね(やや話がそれる)。

森迫
経験じゃないですかね。

伊藤
経験、ですか。あれもやっぱり、浸透してくると、読みやすくなってくるんですかね。

森迫
いやあ、『虞美人草』は自分もきつかった覚えがあるんですよね。前半部分の感じとか、「いや、その結婚は本当の~じゃない」みたいな風になって、「ダメです」って言われたら藤尾が発狂して死ぬみたいな。なんだこれは、みたいな。やっぱり、好き嫌いはあっていいんじゃないかなと思います。

伊藤
そうですよね、やっぱり好き嫌いが関わってくるところなんですかね。

森迫
ただ、やっぱりなんでこの作品が残ったんだろうということを考えないと。例えば、随分むかしの研究者なり、評論家なりが「面白い」って言ってるけど、自分は全然面白くないなと考えている。そうしたら、そこで「なんでだろう」って考えられますよね。

伊藤
面白くない理由を?

森迫
そうです。で、もしかしたら面白くないと思ってたけど、「こんな読み方があるのか!」という発見と新しい出会いができるかもしれない。

伊藤
なるほど。単純に表層だけではなく、それが表しているもの、みたいなものも読み取れるかもしれませんね。深層にあるもの、と言えばいいでしょうか。

森迫
うん、そういうのもありですよね。

伊藤
例えば、僕は授業で梶井基次郎の『檸檬』をやったのを覚えてるんですけど。『檸檬』って、一読しただけじゃ何も分からかったんですよね、当時の僕は。でも、先生の話を聞くと、「こんな読み方もあるんだ」という発見がある。それと似ているんですかね?

森迫
そうですね。で、また、読む時期が違っても、違うものがありますし。

伊藤
あー、そうですね。僕はこの前、『人間失格』を再読したんですよね。確か、三回目です。そうるすと、やっぱり高校生のときに読んだ感想とは違うなあと感じました。見る視点が変わった、と言いますか。

森迫
自分も、結局のところは文学には、面白さから入ったんで。直観的な面白さから。

伊藤
そうですよね、やっぱり文学って面白いですもんね。
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