http://liteco.ky-3.net/%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88/%E3%80%8E%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8F%E3%81%AEk%E3%81%AF%E4%BD%95%E6%95%85%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F%E3%80%80%E8%A4%87%E5%90%88%E7%9A%84%E8%A6%B3%E7%82%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE『こころ』のKは何故自殺したのか? 複合的観点から見えるもの
熊本大学 文学部文学科
伊藤祥太
はじめに
Kは何故自殺したのか。この問いに究極的な答えを与えるのは大変難しいことであり、不可能と言っても差し支えないだろう。Kの心情を析出するには、形式的には「私」の一人称視点、実質的には先生の一人称視点から見たものを頼りにするしか無いからだ。
これがKではなく先生の自殺の理由を探るということになっても、完璧な理由を与えることはできない。先生自身が語ることによれば、Kへの罪悪感から逃れるために「死んだつもりで生きて行こう」と決心した後、明治天皇の崩御と乃木大将の殉死によって自決することを決めたという。しかしこれが本当かはわからないところで、社会学者のデュルケムは『自殺論』の中でこう書いている。
われわれは、自分の行動の真の動機を見誤っていることのなんと多いことか。われわれはたえず、とるにたらない感情や盲目的習慣に動かされている行動を、崇高な情熱や気高い配慮によるものであるかのように説明しているのだ。
つまり、自殺行動を起こした真の原因は自殺をした本人にもわからない、あるいは誤っている可能性が多分にあるのである。これは、自己認知を際限無くメタ化することができるという事実から容易に推測することができるだろう。最終的に自分が自殺する理由を見つけたとしてもそれはメタ構造の中のただ最終にあるだけであって、下層には死にたくないと思っている自分が存在していないとも限らないし、さらに上層まで行くことができたならば、自殺行動に至らなかったのかもしれない。Kの自殺について考えるということは、外部からKの心情をさらにメタ化するということに他ならないのではないだろうか。
しかし、メタ化するに際しても様々な問題が付きまとう。私たちのメタ的視点は、一体どの位置に立てば良いのだろうか。『こころ』はかなり複雑な構造となっていて、一応の最下層をKとするならば(Kの内心もさらに構造化することができるので、本当は最下層ではないのだが)、その上にそれを観察する先生が存在し、先生の中でさらに構造化された内容が「私」に伝えられる。そして「私」の上に過去の「私」を語る書き手としての未来の「私」が存在していて、その上に「夏目漱石」が存在する。これから私がKの自殺に語るにおいて、様々な階層を行き来することになることをここであらかじめ断っておきたい。「Kの心情」「先生の心情」あるいは「漱石の意図」は何だったのか、こういうことを複合的に考えた上で論じ、一つの結論を出してみようと試みる。
また、私はある一つの諦観の上にこの論考を進めなければならない。フィクション上の人物であるKが何故死んだのか、という問い自体にそもそも答えが用意されているはずもない。創造者である漱石がその死について考えることと、私達読者が考える死の理由が違っていても何ら不都合はないのである。これは私が到達したある一つの私的な真実であるということを心に留めながら読んでいただきたい。
Kの自殺への道程
Kの自殺を考察するにあたって、まずはKの自殺への道程を確認しておこう。Kは「真宗のお坊さんの子」であり、「彼の行為動作はことごとくこの精進の一語で形容され」、「ふつうの坊さんよりはるかに坊さんらしい性格をもっていた」という。つまり、Kは自罰的な性格的傾向を持っており、これによってKは神経衰弱に陥っているように先生は見ている。「なまじい昔の高僧だとか聖徒だとかの伝を読んだ彼には、ややともすると精神と肉体とを切り離したがる癖がありました」と先生が語っていることからもその性向の顕著さが見てとれるだろう。こんな状況を見るに見かねた先生は自分の下宿先にKを連れてくる。ところが、自分が先に目を付けていたお嬢さんに対してKが恋心を抱いてしまう。その恋心を阻止するために、先生は以前Kが自分に向かって放った「精神的に向上心のないものは、ばかだ」という言葉でKを「恋」から「道」へと戻そうとしてさらに追及をしていった結果、Kの「覚悟?」「覚悟、――覚悟ならないこともない」という言葉を引き出す。先生はこの「覚悟」という言葉を「Kがお嬢さんに対して進んで行くという意味」に解釈し、一週間後に奥さんに「お嬢さんを私にください」と言う。Kがその事実を知ったのは数日後のことで、先生がどう対処しようか考えているうちにKは頸動脈を切って死んでしまう。
Kと仏教
Kの実家は真宗のお寺であり、この影響を無視することはできないだろう。布施豊正は『自殺と文化』で次のように述べている。
仏は無明の衆生を慈しみ、無常の、生ある者必滅の人生を衆生とともに悲しみ(これが慈悲の意味である)、このはかなき浮世を「死」によって解脱するものと教えている。だから、端的にいって、「生にもとづく」キリスト教とは逆に、「死からはじまる」宗教なのである。
この言説をKの自殺に応用するにあたって、二つのレベルで捉える必要がある。まず、Kの心の内に仏教が「死からはじまる」宗教であるという認識があったのかどうか。さらに言えば、これを書いている漱石自身の知識として、同じような認識があったのかどうか。仮に漱石に仏教に対してこのような知識がないとして、Kがこのような知識を持った人物として成立することが可能だろうか。私はもちろん可能だと結論づける。というのは、漱石は何かしらKの材料となるような人物像があって、その人物像を形成するうちに仏教の自殺への考え方が必ず影響していると考えているからだ。ゆえに、漱石は無意識のうちに仏教に強い影響を受けている人は自殺しやすい傾向にあったと感じていたかもしれない。その意味で、Kの心の内と漱石の知識とは分離可能なのである。
「恋」と「道」の対立
Kの内面で「恋」と「道」の対立があり、それが直接的にせよ間接的にせよKの自殺に関連があったことは疑いの余地がないであろう。この対立のうちに、Kがどのような解答を導き出して死んだのか、これが『こころ』を読む者あるいは研究する者にとって考えるところのあるテーマだろう。この論ではまず、「Kは失恋したことで死んだのか?」ということを出発点にしたいと思う。表層的な理解をするならば、Kは先生とお嬢さんの成婚の報せを受けて死んだのだから、当然その失恋が原因で死んだというべきだろう。先生もそう考えているからこそ、Kが死んだ後に友人からその自殺の原因について尋ねられたときに「早くお前が殺したと白状してしまえという声」を聞くことになる。Kが死んだ直接的原因は自分にあり、それは、お嬢さんをKから奪ってしまったことにあるのだと。
しかし、自殺の原因がそれほど単純なものだろうか? 先生はお嬢さんと結婚した後に、以下のように考える。
同時に私はKの死因をくり返しくり返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kはまさしく失恋のために死んだものとすぐきめてしまったのです。しかしだんだんおちついた気分で、同じ現象に向かってみると、そうたやすくは解決がつかないように思われてきました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不十分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で寂しくってしかたがなくなった結果、急に処決したのではなかろうかと疑いだしました。そうしてまたぞっとしたのです。私もKの歩いた道を、Kと同じようにたどっているのだという予覚が、おりおり風のように私の胸を横ぎりはじめたからです。
ここに言う「現実と理想の衝突」とはそのまま「恋」と「道」の対立と言い換えることができるだろう。さて、この先生の最終的なKの自殺への理解は甚だ抽象的である。これまで述べられてきた先生の気持ちと読み手の気持ちを一致させることで感覚的には理解することが可能であるが、自殺の原因をここから探り出すことはできない。
先生は「失恋」→「現実と理想の衝突」→「寂しくってしかたがなくなった」という三つの段階で結論に辿りつくわけだが、原因というものを考えるとき、やはりこの二段目「現実と理想の衝突」を熟慮しなければならないように私には思われるのである。この「現実と理想の衝突」に対して、Kはいかなる答えを出したのか。
私はKが失恋によって死んだのだという表層的理解に疑問を呈しながらも、やはりそこに理由があるように思う。Kの自殺が失恋に基づくものであることを絶対的に保障するのは、Kが「覚悟、――覚悟ならできている」の直後ではなく、先生とお嬢さんの成婚の報せを受けてから自殺したという事実である。ところで、精神科医の中広全延氏は以下のようにこの私とは反対の意見を述べている。
《K》の自殺が誇大な自己の崩壊にともなう自信喪失や無用者感による、とここで仮定しよう。その場合、作者漱石としてはすぐに、あるいはあまり日をおかず、《K》を自殺させたいはずである。ただしストーリーの展開として、この時点で《先生》はまだ結婚の申し込みをしていない。作者はまだ《K》を自殺させるわけにはいかない。そこで、「上野から帰った晩」《K》が襖を「二尺ばかり」開けて《先生》の様子をうかがうシーンが「下 四十三」に挿入されたと私は考える。
この小説が新聞連載小説であることを考えれば、既に先生とお嬢さんが結婚していることを動かすことはできないから、矛盾を回避するためにこのシーンを挿入せざるを得なかったという論理は確かに筋が通っている。つまり、ここにはKの心情が如実に現れているのではなく、漱石が仕方なく作為的に操作をしたのだということである。しかし、私はこれに首肯することができない。仮にKが成婚の報せを聞く前に自殺したとしても、先生はお嬢さんと結婚したのではなかろうかと私には思われるからだ。Kの自殺の後、それが自分のせいだと感じる先生は、別にお嬢さんとの婚姻を破棄することができただろう。しかし、そうはしなかった。先生はこの結婚についてこう述べている。
年来の希望であった結婚すら、不安のうちに式をあげたといえばいえないこともないでしょう。しかし自分で自分の先が見えない人間のことですから、ことによるとあるいはこれが私の心持を一転して新しい生涯にはいる端緒になるかもしれないと思ったのです。
ここには、Kを忘れ去ることができるのではないかという先生の希望的観測が描かれている。この希望的観測を、成婚が決まる前にKが自殺したからと言って、先生は持たなかったと言えるだろうか? お嬢さんや母親の方ではKの自殺に遠慮して少し婚期をずらそうと試みただろうが、二人のうちでも先生とお嬢さんの結婚は決まったも同然だったわけだから、先生の方にこの希望がありさえすれば、ストーリー上の矛盾は起こらないはずなのである。
Kが「覚悟、――覚悟ならないこともない」と言ったとき、Kの頭には自殺という言葉がよぎったかもしれない。Kは自殺をする覚悟がある、という意味でその言葉を発したかもしれない。しかし、その気持ちはまだ決定的ではなかったのだ。その気持ちを決定的にしたものが、何度も繰り返すが、先生とお嬢さんの成婚の報せなのである。
Kは絶望のために死んだのだろうか。この絶望というのが、先生の言う「たった一人で寂しくってしかたがなくなった」という気持ちに近いかもしれない。ただ、それだけではKの自殺が示すものとしては足りないような気がする。
切腹の類型の応用
私はここに、日本独特の自殺形式である切腹の類型を応用してみたいと思う。先に引用した布施豊正氏は切腹をいくつかの類型に分けている。大別すると、「本人の自由意思によってなされるもの(いわゆる自刃)と、本人の意志に関係なく、刑罰としてむりやりおしつけられた切腹(すなわち、詰腹)とにわけられる」。この大別の中の詰腹をさらに細分化すると、「無念腹」「憤腹」「刑死」とがあって、Kの自殺というのは実はこのうちの「憤腹」と共通項があるのではないかと考える。「憤腹」というのは「自分の憤慨を切腹にぶちまけてするのを指す」という風にある。つまり、Kは自分が死ぬことによって自分の怒りを示し、先生に罪の意識を背負いこませようとしたのではないだろうか。Kがこのようなことを明確に考えていたかどうかは分からない。しかし、表層的にせよ深層的にせよ、「憤腹」のような心持があったのではないだろうか。「憤腹」は「無実の罪を憤ってする切腹」という説明もなされている。Kは果たして何か罪を犯しただろうか。自分は罪を犯していないというメッセージがこの自殺にこめられていたのではないだろうか。
Kは決して先生を責めることはしなかった。しかし、それは逆説的に責めないことが責めることになる、という心持ちがKの中に潜んでいたのではないだろうか。Kの遺書で先生に対する恨みつらみが書いてあれば、先生はもっと深い罪の念に苛まれたことだろう。しかし、それはともすれば先生の罪を浄化してしまうことにもなりかねない。罰を受けたという意識が、先生の罪を洗い流してしまう。Kは言外の圧力をこめる道を選んだのだと私には思えてならない。語らないことによって、先生に罪の意識を長く残すことを選んだのだ。
努力主義ということ
日本人は過程と結果を比べたときに、過程を重視してしまいがちである。Kにとって、これから生きるか死ぬかということよりも、過去を肯定するか否かということの方が重要であったのかもしれない。「道」の思想というのは、これまでKが何に代えがたい、絶対に曲げない個人的な真理のようなものであった。そのためには養家や実家を騙すことを厭わなかったし、友の助けを甘んじて受けようとはしなかった。Kにとって、「道」は彼のアイデンティティの根幹をなしていると言っても良いだろう。そんなKにとって、お嬢さんへの恋心というものはそんなアイデンティティの根幹を揺さぶるほどの大事件であった。彼は新しく出会った価値にすがりつけば良かったのだ。それが何故できなかったのかと言えば、彼は自分の過去を捨てたくなかったのである。二十余年を無に帰することが怖かった。ここに、私は日本人の努力主義を見る。努力したことが全てだと思っているから、今どの方向へ行くべきかを見誤ってしまう。Kが先生に「精神的に向上心のないものは、ばかだ」と言われた時に、これから「道」に戻ろうとしていたのか、それとももう戻ることはできないと考えていたかどうかは明らかではない。しかし、ここで過去の物語を捨てきることができなかったことは、間違いなくKの自殺の要因につながる。
結論
Kの自殺観念のうちに、彼の出生の関係などから推察して仏教的な「死からはじまる」というようなものが関わっているであろうことは既に述べた。Kはそもそも生にそれほど執着しない性格であったと見える。そのうち、Kは「恋」と「道」の間で揺れ動いていくこととなる。あちらが立てば、こちらが立たぬのだ。Kは日本人的努力主義の文脈において、過去を捨てて恋の方面へと邁進することができず、新しい考え方に己を埋没させるkとができなかった。ここにKの弱さを見るべきだろう。そうしてKが足止めをくらっているうちに、先生はお嬢さんとの成婚を確実なものとしてしまう。これはKにとって大きな衝撃であった。この衝撃が、Kの自殺を思い立たせる直接的な原因になっただろう。もちろん、遺書に書いてあるように「自分は意志薄弱でとうてい行先の望みがないから、自殺する」という思いもあっただろう。先生の想像するように、「たった一人で寂しくってしかたがなくなった結果」も原因に関わってくるだろう。そしてそこに、私は日本に伝統的な自殺方法である切腹の位置形態である「憤腹」のような思考がこの自殺にこめられている気がしてならないのだ。Kは先生を言葉で責め立てることはせずに、死ぬことで憤怒を示したのだ。
終わりに
Kは何故自殺したのか、という当初の問いにいくらか満足のいく答えを付与することができたような気がする。私の辿りついたのは個人的な真実である。また、この真実は変わるかもしれない。しかし、私のこの真実が誰かの真実となり、また真実への足掛かりとなることを願ってやまない。
また、今回の論考では仏教についての考察がいささか浅い感を否めない。今後は仏教思想がどうKに影響していたのかを中心にして研究を進めたい。
<参考文献>中広全延(2010)「《K》はなぜ自殺したのか? : 夏目漱石の小説『こゝろ』に関する精神医学的解釈の試み」『夙川学院短期大学研究紀要』39,pp.41-49、夙川学院短期大学
布施豊正(1985)『自殺と文化』新潮社
デュルケーム著・宮島喬訳(1985)『自殺論』中央公論社
なお、この論考のための『こころ』のテクストには、『こゝろ』(2004年 岩波文庫)を用いた。