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中国古典小説の変遷

比較文学専攻
マジマ


1、はじめに
 まずは古代中国における「小説」というものの定義を確認しておきたい。小説といえば今でこそ「高尚な文学」などと扱われる場合が多々あるが、古代中国においてそのような役割を担っていたのは主に「詩経」などといった詩文の類であり、科挙にも採用されるほどであった。一方で当時、小説というのはその「小」という漢字の表す通り「取るに足らない話の記録」であり、決して正統な文学としては扱われていなかったのである。このような小説観は中国においては近代に至るまで連綿と連なっており、中国古典小説を論ずる上では無視できない要素となっている。そのため今回は、その題目を念頭においた上で、中国古典小説がどのような変遷を見せるのか、時代ごとにその特徴等を簡単にまとめてみたいと思う。


2、六朝~唐代 志怪小説から伝奇小説へ
 六朝期は三国時代の魏から始まり、晋、南北朝と来て隋へと至る時代のことであるが、この時期の小説は別名「怪を志(しる)す小説」、「志怪小説」と呼ばれ、ただ単に怪異な出来事や事象などを「記録」したもので、今で言うところの新聞や週刊誌のようなものであった。そのためその内容は、巨大な田螺が何の脈絡も無く出現したり、仙人が空中を飛びまわったりと怪異的事実がつらつらと語られるだけのまことに奇奇怪怪、荒唐無稽なもので、またそこに創作的要素というのはほとんど見られなかった。この時代の小説の代表的なものとしては、桃源郷伝説などが収録された干宝の「捜神記」がある。

 さて、そのような怪異な出来事をあくまで記録するだけであった六朝小説であるが、時代が唐代に移るにつれて次第に、内容の真実味云々よりも表現の美しさ、工夫の仕方に重点が置かれるようになっていき、若干の創作性や筆者の主張のようなものも見え隠れするようになる。そのためこのような唐代の小説は、六朝の「志怪小説」と区別して、他に類のない表現、工夫を凝らした表現という意味の「奇」という漢字を使って「奇を伝ふ小説」、「伝奇小説」と呼ばれている。この時代の代表作は芥川龍之介「杜子春」の原作として有名な「杜子春伝」を収録した李復言の「続玄怪録」や、中島敦「山月記」の原作である「人虎伝」が収録された張読の「宣室志」など、日本でも親しみの深いものが多くある。


3、宋・元~明代 長編白話小説の完成
 小説の定義については「取るに足らない話の記録」であると冒頭で述べたが、それとは違う側面も小説は有している。それは「説」の漢字の示すように、「小説は語られるものである」という側面である。この側面が大きな役割を果たすのが宋代から先の文学である。    

 時代が宋代へと移ると中国経済は爆発的な発展を遂げ、それに伴う大勢の人間の流入により、都市部に「瓦市」と呼ばれる娯楽場が誕生した。そこで披露されたのが説話人と呼ばれる語り部が物語を読み聞かせる「説話」であり、「全相平話三国志」などといった宋時代の代表的な小説の大部分はこの「説話」を記録した「話本」から生まれることになる。また元に時代が移ると、要所要所で歌を挟みながら演劇を披露するという、オペラやミュージカルのような「元曲」と呼ばれる催しも、この「瓦市」で行われるようになる。この背景には元代になって科挙制度が一時撤廃され、出世の道の無くなった知識人たちが大衆文芸に情熱を注いだことがあると指摘されている。

 さて、娯楽としての小説の登場によって「説話」、「話本」、「元曲」といった形で発展してきた中国古典文学は、明代においてとうとう長編「白話小説」という一種の古典文芸の完成形として花開くことになる。「白話」というのは日本小説で言うところの口語小説のことであり、もとは説話人が講談する形式で披露された「説話」を記録したものから派生して誕生したため、この形式が成立することとなった。この明代の白話小説の代表的作品には唐代伝奇小説以上に現代日本人に馴染みの深い、羅貫中の「三国志演義」や施耐庵の「水滸伝」、そして呉承恩の「西遊記」などがある。

4、おわりに
 以上、中国における「小説」の定義から始まり、現代の中国文学の基本的形式となっている「白話小説」に至るまでの歴史的変遷を非常に簡素ではあるがまとめてみた次第である。この後も清代へと時代は突入し、文学革命という重大事件を経て、「魯迅」という名の文豪も登場することになるのであるが、そこまで踏み込むと「中国古典小説」という枠組みを少々逸脱することになりかねないので、このあたりのところで今回は筆を置かせてい頂きたいと思う。

 中国における小説は「取るに足らない話の記録」と定義されると冒頭で述べたが、そのような「取るに足らない話」がこうして長い時代を超えて延々と蓄積され、そして今や立派な「文学」として認められるようになっている。この事実を私は今回の機会に確認でき、改めて感動を禁じ得ない。


参考資料
「中国文学史Ⅰ」講義資料 11-13
比較文学特殊講義「私達にとっての中国小説」配布資料
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