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文学と私

法政大学文学部日本文学科
喜多由吏



 幼児は大人に比べて想像力に長けているという。幼少期の私も例外ではなかった。台所の隅の暗闇の中にお化けの姿を見たり、雨模様の空に雷様の姿を見たりしたものだ。そんな風であったから、本を開けばすぐに主人公に感情移入し、本の世界の中に入っていった。その楽しさが忘れられず、私は文学部日本文学科を志望した。今はもうお化けや雷様は見えなくなってしまったが、本の中の世界には今も楽しませてもらっている。

 今の話が文学と何の関係があるのかと思っている方もいらっしゃるだろう。しかし私は文学の楽しさは他人の創作した世界を覗き見るところにあると思っている。だから幼少期の私が感じた楽しさこそが、文学の醍醐味であったと考えているのである。

 ところで、文学とは何であるか。辞書で調べると“言語を用いた芸術”とある。言語というのは我々にとって最も身近なものである。朝起きればおはようと言うし、腹が立てばチクショウと叫ぶ。こうして当たり前のように溢れている言語を文章という芸術作品に仕上げることで、様々なことを伝達できるようにする。それが辞書的な意味での文学である。この点から私は、文学とはもっとも道具の要らない芸術表現だと考える。また、文学とはあらゆる手段で後世まで残すことが出来る。土器に刻まれた文字や源氏物語などの古典文学が現在でも閲覧可能である状況からも分かるであろう。もっと壮大な表現をすれば、自分が生きた証を残すことができるのだ。それゆえに私は、文学とは一種のアイデンティティとしても言い得るものだと思う。

 今挙げたものは、あくまで文学を専門的に学んでいないものの持つイメージに過ぎない。私は文学部で、文学への理解を深めたいと思う。専門的な知識が不可欠であるとは思わないが、文学が好きな自分にとって専門知識は必ずや生きる上でエッセンスとなるであろう。しかし文学とは何も選ばれた者だけが学べるものではないのだ。文学についての知識がなくても、文学を志す意思があれば、そこが文学への入り口になると私は思う。難しそうだからとなんとなく敬遠している人も、とりあえず入り口から覗いてみてはいかがか。意外な楽しみに出会えるやもしれない。
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