- 2024/11/23
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栃木県 私立高校2年
オオシマミユ
文学と聞いて頭に浮かんだのは古典文学だった。 それもそのはず机の上には常に、母親から譲ってもらったケース付きの古今和歌集やら枕草子が置いて ある。私はこの作品たちを愛してやまないのだ。とは言っても幼き日から古典を読みあさっていたわけではない。小学5年あたり までは児童向けの文庫本や、小学生でも読めるレベ ルの分厚い本などを読んでいた。しかし何を血迷ったのか小学校高学年の頃に古典 に魅了されてしまったのだ。これが長 い長い恋の始まりであるとその時の私は思いもしなかった。
初めて読んだ古典は枕草子だ。偶然家の書斎から 発掘したものであるが、もちろん読めなかった。な ぜなら全て歴史的仮名遣いでところどころの注釈も 全くわからなかったからだ。わからないくせに読む 気になった当時の私にはぜひとも金一封を差し上げ たい。そこから少しずつわからないなりに読み進め ていくとだんだんとそのひらがなの魅力に取り憑かれ、ついに数百段にも及ぶ枕草子を読み終えてしまった。あの並ならぬ達成感は今でも忘れられない。しかしそれ以上に感じたのは、この日記の中にある知識を取り込めて嬉しいという事だった。その後枕草子だけでは飽き足らず書斎にある古典を引っ張り出しては読んだ。特に 和歌はとても優しくて繊細で、その暖かさに私は惹かれた。正直に言うと今でも長い長い文章より五七 五七七のほうが好きだ。伝えたいものがストレート に胸に届き、満ちるあの感覚は病みつきになる。
そうして高校生になり国語の授業内容もだいぶ濃くなってきたある日。年配の国語の先生は声を張り上げて、唐詩選は読んでおいて損はないと言ったのだ。もちろん光の速さで買いに行った。そして開くとそこには美しい漢字の羅列、韻、対句…巧みな情 景描写に織り交ぜられる作者の心情などが決まった 字数で表されている。今まで漢文といえば「子曰く〜」の孔子くらいしか知らなかった私に感電したような衝撃を与えてくれた。
和歌や漢詩は字数が限られているものがほとんどで、水飴のように練られた言葉はすんなりと喉を通らずにねっとりと余韻を残していく。この甘さと濃密さが私を掴んで離さない。私が古典文学、特に「うた」を愛する理由はここにある。
この気持ちを古今和歌集から引用すると、この和 歌がいちばん近い。
“いで我を 人なとがめそ 大船の ゆたのたゆたに もの思ふころぞ”
大きな船がゆらゆら揺れるように大揺れに揺れて恋 をしている私を誰も咎めなさるな、と。そうだ、誰 も咎めなさるな。私にとって古典は生きる糧なのだ から。
この恋はおそらくずっと片想いだ。しかしそんな 世界に私は足を踏み入れてしまった。もう引き返せ ないし引き返さない。古典文学への思いはとどまる ことを知らない。
嗚呼已矣哉。