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文学が与えてくれる選択肢

同志社大学文学部英文学科 卒
現在、出版社勤務
石風呂春香


 みなさんは、なぜ文学部に入ったのでしょうか? 本を読むのが好きだから、国語が得意だったから、他に興味のある学部がなかったから、はたまた、文学部は遊べそうだから……。人の数だけ動機はあれど、「将来の役に立ちそうだから」という人はあまりいないのではないでしょうか。また、今大学生活を満喫しているみなさんの中には、文学部出身で就職先が見つかるのだろうか、仕事で文学を活かす機会なんてあるのだろうかと悩んでいる方もいるかもしれませんね。文学を勉強していてよかったなあと思った私の経験を、出版の仕事の内実も交えて、みなさんにお伝えしたいと思います。


 私は大学でイギリス文学を専攻していました。理由は、単に本を読むことが好きだったからです。私にとって違う国の本を読むということは、まるでなぞなぞを解いているかのような楽しみがあったのです。違う文化、違う時代に生きる人の考えを読み解くというのは、想像力を働かせないと上手くいきません。いわゆる、行間を読むということでしょうか。実際に文学部に入ってみて、非常に自分の想像していた文学部と似ていたこともあってか、すぐにその分野にのめりこむことができました。特に印象的だったことは、作者が作品中で書いていることを、実際に体験したことでしょうか。ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』という作品のなかで、二人の人物が一枚の絵を見ている場面があるのですが、それぞれに絵に対する印象が、まるで別の絵に見えるほど違っているのです。そして、この場面について友人と話し合ったとき、また同じように全く違う視点でその場面を見ていることがわかりました。私はそのとき、これが作者の感じていたことではないかと、まるで作者と一体になったかのように感じたのです。そしてますます、私は文学を学ぶことに夢中になりました。


 そして今は学術書を専門的に扱う出版社で編集者として勤めています。もちろん、編集という仕事において文学部出身であるということはかなりの利点です。良質な文章に沢山触れてきた人ほど、いい校正者・編集者になれるのだと思います。読者にとってわかりやすい文章を考えることが一番の仕事ですから。大学時代に行った読解や論文の作成で頭を悩ませた経験があるからこそ、論の構成や言葉の使い方について、改善案が思い浮かぶのですね。中でも一番文学を活かせたと感じた出来事は、自分の専門分野に近い仕事をもらえたことです。私は学生時代、「イギリスの女流小説にみる女性の社会進出について」という何とも活用しにくそうな分野を学んでいたのですが、非常にその論題に近い内容の本の担当を任せていただいたことがありました。もちろん、学部生程度の知識しか持たない私が教授の論文にあれこれ意見できるというわけではありません。しかし、その本は大学での教科書として採用されるということでしたので、学生の視点を提供することができたというのが一番大きな役割だったと思います。例えば、まだ文学について詳しくない一、二年生にとってはこの表現は難しいのではないか、作品の年代順に並べるよりは特徴が似ていたり影響を受け合っていたりする作品をまとめて一つの章とするほうがいいのではないかなどの提案をし、非常に楽しい仕事の経験ができました。きっとまた、後10年、20年経って同じような仕事に巡り合えたら、もっと自分の持つ知識をフル活用した仕事ができるのではないかと今から楽しみにしています。


 文学を学んでいてよかったと思うのは、何も編集の仕事に限ったことではありません。一般的な仕事や普段の生活においても学生生活を振り返ることは多々あります。私個人としては、文学を学ぶということは、ある国や時代に生きた個人の人生を通してそこにある普遍的な価値観を学ぶということだと考えています。例えば、私の中ではそれまで文学を通して学んできた「女性の社会進出について」というテーマは、今でも心に根強く残っています。19世紀のイギリスでは、女性たちが今まで男性中心であった社会に飛び込んでいく様子が描かれた作品がいくつか生まれました。登場人物たちは、恋愛や家庭と仕事の間で葛藤し、それぞれに答えを出していきます。それは今の日本社会に生きる私たちにも共通する悩みでもあります。社会で男性に混ざってバリバリ働くのが幸せなのか、家庭や子どもをもつことが女性としてあるべき姿なのか、私はそのような悩みに出くわしたときには、いつも彼女たちがどのように社会的地位を得ようと、女性としての自我を得ようともがいていたかを思い返します。文学の中に、これといった正解があるわけではありません。しかしそれは私たちに一つの選択肢を与えてくれるのです。


 最後に、非常に哲学的な小説を書くことで有名なノルウェーの作家、ヨースタイン・ゴルデルの著書である『ソフィーの世界』の中の言葉を借りれば、「私たちにとっては彼らが何を考えたかということよりも、どのように考えたかということの方が重要なのです」。日本文学であろうと、海外文学であろうと、それにどのように向き合うのかが大事なのだということです。そこには、必ず今のあなたの立ち位置とは違う考えが含まれています。先人たちの書き残した一つの人生の中から読み取った物の考え方や価値観などを自分の人生に照らし合わせて考えることで、今まで見えなかったものが見えてくる。それが一番重要なことではないでしょうか。みなさんが読み、考え、書いたことは決して無駄にはなりません。今は実感がないかもしれませんが、大学で学んだ「物の考え方」はそのまま大人になったときの人格を形成すると言っても過言ではないでしょう。

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