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文学の入り口

日本大学芸術学部文芸学科
相場和子


 堅苦しくて、近寄りがたい。

 親しみなんてどうせ持てないだろうから最初から触れることすら諦めてしまおう。なんて思うことがある。これは単にわたしが面倒臭がりで臆病であるからかもしれない。しかし、文学という単語が前に立ちはだかったとき、同等の感情を抱く人はきっと少なくないはずだ。

 皆さんは文学と聞いて、まずはなにを思い浮かべるだろうか。本をあまり読まない人からしてみれば、最も身近な文学への入り口は国語の教科書であったかもしれない。わたしの記憶だと森鴎外や夏目漱石、芥川龍之介など超がつくほど著名な文豪たちがその冊子に名を連ねていて、実際掲載されているものは素晴らしい作品ばかりであった。

 が、しかし。まったく文学に触れたことがないであろう少年少女が、まして文学? なんだよこんな小難しい言葉で覆いやがって! なんて思っている思春期真っ盛りの学生たちが、いきなり「はい、次は森鴎外の舞姫を読んできてください。次のテストに出るからね」なんて言い渡され、ほいほいと馴染むことが出来るだろうか。いや、まず無理だろう。とくに舞姫なんかは文語で描かれているため余計に難しい印象がある。 文学に親しみを抱く、その扉になるはずの教科書と授業の影響で余計に大きな壁となるとはまさに本末転倒である。

 堅苦しい、自分には理解できない。と、考えてしまっている現代の人々へ、まずわたしが言いたいのは、文学とは決してハードルの高いものではないということだ。そして勉学という枠に捕らわれる必要もまたない。事実まわりの読書嫌いな人々は、どうも文学を教科書の延長線上だと考えているのだ。そんなことはない。文学だって(言ってしまえば芸術は)人々の娯楽に過ぎない。現代のようにたくさんの娯楽がなかった頃の主流の楽しみ、それが文学であったり観劇であったり、トーキーであったり。文明が発達したいま、わたしたちが携帯を使いSNSを楽しむ、それと大差はないのだ。

 勿論、時代の流れによって娯楽も変わっていく。かつてはたくさんの文学作品に触れて楽しんでいたものが、数々の発明や発達により携帯、SNSその他に変わっていくことは仕方がないことなのかもしれない。けれども、文学は過去の産物で、頭の良い真面目な人が読むもので、それでもって小難しくてワタシには合わないものなの、とかいう読書嫌いな人々の勝手な認識は間違っている。わたしはそれをなんとかして変えていきたいのだ。

 文学という壁をぶち壊す。そのために必要なのは、興味を持つこと、楽しさを知ること、そしてなにより読んでみること。読ませるための方法に、読んでみることを入れるなんて、と思われるかもしれないがこればっかりは実際に挑戦してみてもらうほかない。

 きっかけはなんでもいい。純文学と言われるものでも、エンターテイメントでもSFでも入り口は自由だ。当然である。なぜならこれは娯楽なのだから。もう学校の授業なんかは関係ないのだ。好きなものを読めばいいし好きに感じればいい。わたしが文学の世界、小説に興味を持つきっかけは星新一のショートショートだった。小学の高学年ぐらいだったろうか。本の面白さに気付き、それからは気の向くままに読んだ。あ、この名前みたことある。この題名は面白そうだな。あ、これはこの前読んだのに出てきたぞ。なんて、どんどんつながって、ますます世界は広がっていく。この楽しさを一人でも多くの人に知ってもらいたいし、まずは苦手意識をなくしてもらいたい。繰り返すようだが、本の世界は自由なのだ。きっかけはなんでもいい。

 どのくらいの人がこれを読んでいるか予測がつかないし、もしそれなりの数が居たのだとしてもこの拙い文章を最後まで読み切るとなると、余計に幅は狭まっているような気がする。もし、たとえ一人であっても文学の世界の認識を変えてくれたら。読んで触れてみたい、と思ってくれたら。そしてそのまま果てしなく広がる自由な世界へ歩んでみて欲しい。わたしはもう、それで満足である。
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