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病と闘う小説はいかが

日本大学 芸術学部文芸学科
かしのしゅうか

 わたしは文学に魅せられている。そういう人は少なくないはずだ。これを読んでいる貴方だって、少なからず文学に興味がある人間なのだろう。そういう人々に是非お勧めしたい文学の世界がある。闘病小説だ。文学の中でも、わたしが底なしに芸術性を感じている闘病小説、この魅力について語る。

 貴方は闘病小説を読んだことがあるだろうか。読んだことのない人々は、そのイメージについて少し考えてみてほしい。多くの人間が、「暗い」という。わたしはそういった負のイメージを払拭してまわりたい。なぜならわたしにとって闘病小説ほど明るい文学は、純文学においては非常に珍しいとさえ感じているのだから。

 闘病小説の魅力として、「生への執着」が見られることを挙げる。「死にたい」と気軽につぶやく若者が多い現代では、生への執着がなにより目新しく感じられてしまう。死を目前にしてのべつ幕無しに後悔をする。何を食べたかった、誰に会いたかった、何に夢中になりたかった。紛うことなき生への純粋な執着が溢れ出る。これを今持っている若者はいるか。その純度は。わたしだって死にたいと思う、何度も思う。それでも、死は遠い。わたしたちの耳に死の足音が聞こえることなどまずない。それを耳にする人々の痛切な言葉は、胸を裂く。ページのそこかしこに、緊迫感が滲む。現代に生きるわたしたちに不足している生へのまっすぐな姿勢が、すべて闘病小説の中には含まれているのである。

 北條民雄という作家がいる。彼はハンセン病を患い、療養施設へと入っていた。そのときの体験を「いのちの初夜」という作品に認めた。ここまでわたしの文章を読んだのであれば、わたしが闘病小説に心を奪われるきっかけとなったこの作品も併せて読んでもらいたいために深くは語らないが、これぞ闘病小説の神髄だといって過言ではない。死が迫るその瞬間に、なお生へしがみつこうとするその健気さこそが、人のあり方であるとわたしは信じて疑っていない。

 眠れない夜に、生きるとはどういうことか疑問を感じたときに、そして死にたいと思ったときに、いちど闘病小説を読んでみるといい。「いのちの初夜」であれば青空文庫でも読むことができる。読めばおそらく、子守唄のように、もしくは讃美歌のように、ただならぬ緊張感をはらむ文字たちが心に染み入るであろう。その瞬間に一体何を感じ、何を思うだろうか。そのときに感じた、思ったことはきっと貴方が貴方の人生を、より大切にするきっかけとなるはずだ。そんな闘病小説を、おひとついかが。
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