忍者ブログ

LITECO

HOME > ARTICLE> > [PR] HOME > ARTICLE> エッセイ > 世界の繋がりと広がり

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

無題

稚拙な感想文を読んでいるようだ。

世界の繋がりと広がり

KMIT
汐咲里乃

 自分自身の存在が脅かされる。そういった経験はあるだろうか。私は昔、自分を否定され、自分にはなにもないのだと思い込んでいた時期があった。かわいそうなやつだと思われるかもしれないが、そんなときに私を支え、自信を取り戻してくれたのが文芸創作だった。

 そもそも私が文芸というものの魅力に取りつかれたのは小学生のころだ。本が大好きで、図書室に通いつめていた。背伸びをして、シャーロック・ホームズやアルセーヌ・ルパンなども読み漁っているような子供だった。ホームズが犯人を追いつめたり、ルパンが様々な人に変装したりすれば高揚で胸が高鳴るし、彼らが窮地に立たされた時は私まで緊張してしまう。そういった、主人公や登場人物が現実では起こりえないようなスリルに満ち溢れた冒険や、難解な謎に立ち向かう姿には今でも変わらず胸が躍るものだ。しかし、本を読み終えた後はいつだって寂しい。まるで夢から覚めてしまったかのように、読み終えてしまったことを残念に感じたことはないだろうか。本を閉じた後も、私は夢の余韻に浸るように想像を膨らませていた。物語が終わった後の主人公たちはどうなったのだろう? もしもこのシーンで本とは違う展開になっていたら? そんなもしもの世界の空想を広げるだけでは満足できなくなり、自ら物語を書き始めたのがそもそもの始まりだった。

 紙の上の世界は自由だ。本の中では、登場人物が冒険したり、笑ったり泣いたりと自由自在に動き回っている。もちろん、何かに囚われたり縛られたりすることはなく、書いている私が登場人物やストーリーを自由に動かすことが出来るのだ。私の世界は私の物で、それを現実のように脅かされる心配もない。
しかし、その世界が孤立しているかといえばそうではない。それぞれが本を開くことによって紙面の上の文字に込められた著者の世界と触れ、繋がることが出来るからだ。もちろん、受け取り手により感じ方は違うだろう。一人一人の頭の中の世界とまったく同じ世界など存在しないのだから。それは、読者が著者の意図と違う受け取りかたをしてしまう危険性を含んでいるということでもあるが、逆にそこが魅力でもあると私は思う。たくさんの人間がいるのだから、いろんな受け取り方があっていい。いつの日かの私のように、そこから受けたものから広がる世界があるかもしれない。そうやって世界を広げ、繋がる力が文芸にはある。だから私も書き続けたいと思う。いつの日か私の書いた物語が誰かの世界を広げることを夢見て。
PR

Comment1 Comment

無題

稚拙な感想文を読んでいるようだ。

Comment Form

  • お名前name
  • タイトルtitle
  • メールアドレスmail address
  • URLurl
  • コメントcomment
  • パスワードpassword