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小規模な世界における文学

KMIT
紀谷実伽留


(テーマでは「『文芸』は世界をどう動かすか」とあるが、今回はそのあたりの定義は考えず、それらに近似するものを全て含めて、「文学」ととらえることにする。そして、どう動かすか、よりも、動かすことができるか、という大前提について話したいと思う。)

 あらかじめ言っておこう。文学は世界を動かす。それが私の見解だ。そう考えてなければ、わざわざ大学になど入り、文学について学ぶこともあるまい。

 そもそも、我々の存在する世界とは何であろうか。数学者たちは数字の羅列と言い、科学者たちは分子の集まりとでも言うかもしれない。彼らはきっと、それらこそが世界そのものであり、世界を動かすものであると考えているのだろう。それはそれでかまわない。

 だが、私はこう考えるのだ。世界は、自分であると。世界は、あなた方であると。ひどく投げやりな見解かもしれぬが、結局のところ、世界とは我々個人が見て、認識してようやく成り立つものだ。我思う、ゆえに我あり。最終的に、確実に存在していると言えるものは、己のみである。ならば、自分の見ている世界が世界そのものなのだ。

 あなたの心が数字の羅列でできているなら、きっと世界は数字の変化によって起きるのだろう。あなたの心が分子でできているのなら、世界は分子で動くのだろう。それと同じことが、文学にも言える。 動かせないと思っている人にはきっとそのように見えるのだろう。それは仕方のないことだ。だから、私は文学の世界に生きる者を代表して、その世界を信じる要因を、もう少しだけ語ることにしよう。

 とは言ったものの、私はさっそく、その主張に一つ付け足しをせねばならぬ。何故、私が文学は世界を動かすことができるなどと主張するかといえば、「文学=人」であると考えているからだ。人がいなければ、観測者がいなければ、世界は生まれない。だから、人を形作る鍵にもなりうる文学を、各々の世界にとっても重要なものとしたのだ。

 いささか、回りくどい言い方になってしまった。非常に簡潔に言ってしまえば、こういうことである。

「文学作品を読んで感動しました」

 その瞬間に、あなたの世界が動いたことになるのだ。文学が、世界を観測するあなたの心を形作る、一つの部品になったのだから。

 古来より、人の在り方を追求してきた哲学者たちは、その考えを文学という形にして我々に残している。あくまでそれ単体では、彼らにとっての世界を示した、ただの文字の羅列にしかすぎない。観測する我々がいなければ、偉大なるニーチェの世界も、私やあなたの世界と同軸上のものになり、リンクすることはないのだから。

 だが、それらの文学作品を読んで、あなたの心に残ったとすれば、それは、あなたの世界になるのだ。そして、そうしてできたあなたの世界を、別の形で発表し、他の誰かの心に残ったとすれば、世界中に存在する「世界」が動いたことになるのではないだろうか。

 最後に、もう一度言っておく。世界は、あなた方です。あなたの世界を動かすものは、何ですか。
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