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『ドグラ・マグラ』における「脳髄論」および「胎児の夢」の解釈

比較文学専攻
マジマ


【はじめに】
 私は課題研究の際において、「『ドグラ・マグラ』に描かれるモノ」と称してその文学的価値、そしてその理由について研究し、発表した。私は、卒業論文においてもこの流れを汲み、『ドグラ・マグラ』という作品を研究したいと考えているのであるが、その前に当レポートで作品内容、とくに作品内において重要な位置づけを占める「脳髄論」、そして「胎児の夢」の内容を、一旦自分なりにまとめ直しておこうと思う。この内容に理解が及んでいないようでは、『ドグラ・マグラ』という作品をそもそも理解すること自体が困難であるし、そこから見えてくる新しい研究課題もあるかもしれないと考えたからである。このレポートの内容が少しでも私の卒業論文への足掛かりとつながることを、私自身のことながら切に願っている。また、今回のこのレポートにおいては作者、夢野久作そして『ドグラ・マグラ』そのものの紹介は省くつもりである。作者のプロフィールであるとか、『ドグラ・マグラ』の文体が特徴的である、などの内容は、わざわざ今回また紹介しなくても、以前のレポートや課題研究ですでに何度も述べていることであり、また単純にそのことに字数を割く余裕がないからである。ご留意頂けると幸いである。


1、 脳髄論
【脳髄は物を考える処に非ず】
 早速、本題に入らせて頂く。まずは「脳髄論」の解釈から始めてみたいと思う。この「脳髄論」という理論は、作品中で正木博士が提示したとされる架空の理論である。正木博士の説明によれば、そもそも「脳髄論」という名前の学術論文が存在するらしいのであるが、実際作品内に提示されているのは、その内容をわかりやすく解説した新聞記事、『絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず =正木博士の学位論文内容=』というものだけである。「脳髄論」の論文そのものは非常に難解で、一般人には読解することすらも及ばないからである、と作品中に説明がなされている。

 さて、それでは上記の『絶対探偵小説』の内容に乗っ取って、「脳髄論」という考え方をまとめたいと思う。まず、「脳髄論」の根本にある考え方は、『絶対探偵小説』のタイトルにもあるように「脳髄は物を考える処に非ず」というものである。我々は脳髄でものを考え、知覚しているように思っているだろうが、それは間違いであると正木博士は言うのである。それでは何処で我々は思考し、知覚するのかというと、身体中の細胞全てがその役割を担っていると彼は述べる。

 「われわれが常住不断に意識しているところのアラユル欲望、感情、意志、記憶、判断、信念なぞいうものの一切合財は、われわれの全身三十兆の細胞の一粒一粒ごとに、絶対の平等さで、おんなじように籠っているのだ」(『ドグラ・マグラ』本文より引用)

 では脳髄とは何か、となると、正木博士は「電話交感局」に相当すると述べる。つまり、人間の意識や感覚、そして思考といったものは全身の細胞それぞれが独自に行っており、脳髄というものはただ単純に、その細胞の意識や感覚を反射し交感する仲介機能を持つ存在に過ぎない。こう述べているのが「脳髄論」の考え方なのである。


【脳髄局、ポカン式反射交感事務、加入規約】
 さて、「脳髄論」には上記の考え方に加えて脳髄が細胞の反射交感を行う際の条件、きまりのようなものも、『脳髄局、ポカン式反射交感事務、加入規約』というタイトルで同時に説明されている。これも「脳髄論」ひいては『ドグラ・マグラ』そのものに大きく関わってくる事柄であるので、まとめておきたい。

 「脳髄局、ポカン式反射交感事務、加入規約」、つまり「脳髄の反射交感作用のきまり」は、大きく分けて三つ存在すると本文中で述べられている。以下に、一旦それを本文のまま引用する。

◇第一条 脳髄局ヨリ反射交感シ来(きた)ル諸般ノ報道ハ、仮令(たとい)、事実ニ非(あら)ズトモ、事実ト信ジテ記憶スベシ。
◇第二条 脳髄局ヨリ反射交感シ来ラザル事ハ、仮令自身ニ行イタル事ト雖(いえど)モ、事実ト認ムベカラズ。記憶ニモ止(とど)ムベカラズ。
◇第三条 脳髄局ノ反射交感機能ニ故障ヲ生ジタル場合、ソノ故障ヲ生ジタル一個所ニ於テ反射交感サレツツアリシ或ル意識ハ、他ノ意識トノ連絡ヲ絶チ、全身ノ細胞各個ガ元始以来保有セル反射交感作用ヲ直接ニ元始下等動物ト同様ノ状態ニ於テ(脳髄ノ反射交感作用ト無関係ニ)使用シ、他ノ意識ニ先ンジテ感覚シ、判断シ、考慮シ、又ハ全身ヲ支配シテ運動活躍セシムルヲ得ベシ。

 まず一つ目は「脳髄から反射交感されてしまった情報は、たとえそれが真実でなくとも真実として記憶する」ということである。「泥棒の入った夢を見て、大声をあげて家中を呼び起こす」(『ドグラ・マグラ』本文より引用)という例が作品中では述べられているが、それを考えるとわかりやすい。

 二つ目は、「脳髄から反射交感されなかった情報は、仮にそれを実際に行ったとしても認知しない」ということ。一つ目とは真逆の内容である。「『昨夜、君の蒲団を引ったくった覚えはない』なぞと頑張る連中は、この第二箇条を厳守している正直者に相違ない。」(『ドグラ・マグラ』本文より引用)という例が本文中では述べられている。

 三つ目が少々わかりづらいのであるが、つまりは「脳髄の反射交感作用がなんらかの原因で故障した場合、脳髄を仲介する事なく、細胞同士で反射交感を行う」ということであり、脳髄のお陰で正常に作動していた反射交感作用が細胞同士で直接行われることで、その作用が正常に発揮しなくなると述べているのである。この三つ目の条件が重要で、脳髄の故障によって反射交感作用が正常に機能しなくなる状態、これが精神異常である、という方向に論は展開してゆくのである。

 以上が、『ドグラ・マグラ』本文で語られる限りの「脳髄論」の内容である。


2、 胎児の夢
【心理遺伝】
 次に、『ドグラ・マグラ』を支える、もう一つの大きな支柱である「胎児の夢」という考え方をまとめてみようと思う。「胎児の夢」は正木博士の卒業論文であるとして、「脳髄論」とは違い『ドグラ・マグラ』本文中にそのまま掲載されている。

 ではその内容であるが、この考え方はドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルの「反復説」を踏まえたものである。その「反復説」とは、簡潔に言ってしまえば、胎児は母胎内にいる10ヶ月の間に、単細胞生物→魚類→両生類→獣→人間という進化の過程を繰り返している、という内容である。だから尾てい骨などと言った進化の痕跡が、我々の身体に残っているというのである。

 この反復説に、「精神」、「心理」という概念を介入させたもの、つまりは、「精神もまたその進化の痕跡を残している」と述べたのが「胎児の夢」という論文である。そしてその論文の中において、「精神進化の痕跡」を「心理遺伝」と呼称している。この「心理遺伝」が「胎児の夢」の核となる考え方である。「心理遺伝」の具体例として挙げられているのが、まず「好戦的」「狩猟心理」「残忍性」等。これは我々が原始人であった頃の精神の「心理遺伝」であると述べられている。そして「群集心理」「流行心理」「野次馬心理」。これは原生動物時代の「心理遺伝」である。このように我々は、胎児であった頃に繰り返された過去の記憶、精神心理をいまでも密かに内在させている。これが「胎児の夢」の根本的な考え方である。


【夢】
 「胎児の夢」の中においては、上記のような「心理遺伝」の他に「夢」というものの正体についても論じられている。こちらの方も「胎児の夢」を構成する重要な要素であるため、まとめておきたい。
 
 そもそも夢というものは、人間の全身が眠っている間に、その体内の或る一部分の細胞の霊能が、何かの刺戟で眼を覚まして活躍している。その眼覚めている細胞自身の意識状態が、脳髄に反映して、記憶に残っているものを吾々は「夢」と名付けているのである。(『ドグラ・マグラ』本文より引用)

 ここで述べられている「細胞の霊能」とは、簡単に言うと一つの細胞が持つ記憶力のことであり、また本文の言葉を借りるならば、細胞における「相互間の共鳴力、判断力、推理力、向上心、良心、もしくは霊的芸術の批判力等」ということになる。つまり、「胎児の夢」において述べられる「夢」のメカニズムとは、我々が眠っている間に目を覚ましている細胞が受けている刺激の具象化ということに過ぎない、ということになるのである。これを「胎児の夢」中においては「換言すれば夢というものは、その夢の主人公になっている細胞自身にだけわかる気分や感じを象徴する形象、物体の記憶、幻覚、聯想の群れを、理屈も筋もなしに組み合せて、そうした気分の移り変りを、極度にハッキリと描きあらわすところの、細胞独特の芸術という事が出来るであろう。」(『ドグラ・マグラ』本文より引用)と表現している。

 以上の「心理遺伝」そして「夢」の解釈が、「胎児の夢」という論文で語られる内容である。


【結論】
 以上、『ドグラ・マグラ』において中核を担う二つの理論、「脳髄論」と「胎児の夢」の自分なりの解釈試みたのであるが、やはり驚嘆すべきは夢野久作の類まれなる教養、そして優れた発想力である。また、哲学者や思想家でもない、いち探偵小説家がこのような理論を考え付いたということにもカタルシスを感じざるを得ない。このような凡庸な探偵小説の枠に収まらないスケールの壮大さ。それもまた、『ドグラ・マグラ』のもつ大きな魅力の一つであろうと、私は考える。




【参考資料】
『ドグラ・マグラ(上)』夢野久作著 角川文庫 1976年
『ドグラ・マグラ(下)』夢野久作著 角川文庫 1976年
『鶴見俊輔書評集成』鶴見俊輔 つるみ書房 2007年
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