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熊本大学文学文学科
西浦
1.はじめに
『神曲』における地獄(inferno)の特徴を明らかにするに当たって、まずキリスト教全体における地獄観との比較が必要ではないかと思い至った。そこで今回は、主として聖書を参考にしながら「聖書の中の地獄」と「inferno」を比較していく。
2.聖書の中の地獄とダンテの描いた地獄
ヘブライ語聖書のギリシャ語翻訳版とされるThe Septuagint with Apocrypha では、「αδης」と「γαιεννα」という二つの語が地獄を指すとされる。しかしながら教派によって諸説あるものの、多くの場合この二つは厳密には意味が異なる。また、ギリシャ語聖書Novum Testamentum Graece の日本語訳である新共同訳聖書においても、「αδης」が陰府、γαιενναが地獄といったように、明らかな表記の違いが見られる。では、「αδης」と「γαιεννα」の違いは何だろうか。
2-1 「αδης」の特徴
旧約聖書に初めて「αδης」という語が登場するのは創世記37:35のことである。以下は新共同訳(2008)からの引用である。
37:35(前略)「ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下っていこう。」父はこう言って、ヨセフ のために泣いた。
これはヤコブが愛する息子ヨセフの死を嘆く場面である。タナハではこの陰府が「שאול」と表記され、日本では一般的に「シェオル」と言われる。「שאול」が「αδης」と訳されてるということは言うまでもない。この場面において「αδης」はヨセフの下った場所、つまり死者のある場所を指している。
では「αδης」は死者のみが行く場所なのかというと、そう簡単に断言することはできない。民数記16:32-33がその例である。
16:32地は口を開き、彼らとコラの仲間たち、その持ち物一切を、家もろとも呑み込んだ。16:33彼らと彼 らに属するものはすべて、生きたまま、陰府へ落ち、地がそれを覆った。(新共)
ここでも使われているのは「αδης」だが、人々が「生きたまま」陰府に落ちていく場面が描かれている。つまり、陰府は地上で死んだ者のみが行くという訳ではないのである。このことから、「αδης」は死者および生者が落ちる所であると分かる。
また、興味深いのは詩編86:13である。ここでは『あなたの慈しみは私を超えて大きく/深い陰府から/私の魂を救い出してくださいます。』(新共)と謳われている。陰府(αδης)は神の手による救いが存在する場所なのである。これは『神曲』においてイエスの恵みが受けられ得る唯一の場所、地獄の第1層リンボと似通っている。
以上をまとめると、「αδης」は死者も生者も落ちるが、神の救いにあずかる可能性のある場所であることが分かる。
2-2 「γαιεννα」の特徴
「γαιεννα」はヨシュア記において初めて登場する。しかしこの時、「γαιεννα」は地獄という意味ではなく、「ヒンノムの谷」という地名を表す言葉である(ヘブライ語では「גי-הינום」と書かれており、この音訳であると考えられる)。しかしながら新約聖書で「γαιεννα」は総じて「地獄」の意味で用いられる。この時の地獄は死者のみが落ちるものであり、『神曲』の地獄と近い。また、「γαιεννα」から救い出されるという言葉は見受けられないため、『神曲』の地獄の第2層~第9層とその性質を同じくしている。「γαιεννα」は新共同訳において地獄と訳されるが、『神曲』に描かれる地獄「inferno」はラテン語の「 infernus(低い)」に由来し、言葉そのものからは「γαιεννα」と「inferno」が同一であると断言することはできない。
2-3 まとめ
ここまで分かったことを以下の一覧にまとめた。
このことから「inferno」の第1層リンボの様相は「αδης」を参考にして描かれ、第2層~第9層は「γαιεννα」を参考にして描かれたものと考えられる。
3.地獄の位置
ダンテは『神曲』の中で『淨火の山、イエルサレムの反對面にあり 』(山川丙三郎訳)と書いている。つまり煉獄と対をなすinfernoは、エルサレムの下に位置するはずである。
しかしながら先述した民数記16:32-33の場面は、明らかにエルサレムの下ではない。これはどうしてだろうか。地獄の位置について、エマヌエル・スヴェーデンボルイは『天界と地獄』(スヴェーデンボルイ原典翻訳委員会訳)の中で以下のように説明している。
地獄は山の下にも、丘や岩山の下にも、平地や谷間の下にも、どこにでも存在します。山・丘・岩山など の下にある地獄の場合、その入口または門は、見たところ洞穴か岩の裂け目のようで、広くあいているも の、細くて狭いものなどもありますが、たいていはみすぼらしく見えます。(中略)地獄がそれぞれどこに 位置しているのか、だれも知りません。天界の天使たちも知りません。主だけがご存知です。
彼によると、地獄はどこにでも存在するが、具体的な位置は誰も知らないという。このような地獄観は仏教と似たところがある。いずれにせよ、エルサレムの下にあると書いたダンテの思惑は不明だが、infernoにおける最大の特徴の一つと言っても過言ではない。
4.おわりに
infernoの特徴は、①死者のみが行き②リンボにはイエスの救いがあり③その位置はエルサレムの下であるという点であるということが分かった。これらの情報を元に、今後は仏教や神道など他宗教との比較を進めていきたい。
参考文献
1.Biblia Hebraica Stuttgartensia, R.Kittel他, Deutsche Bibelgesellschaft(1967/77)
2.The Septuagint with Apocrypha: Greek and English 10th printing, Lancelot C. L. Brenton, Zondervan Publishing House(1980)
3.Nestle Aland Novum Testamentum Graece : Read NA28 online, Deutsche Bibelgesellschaft(http://www.nestle-aland.com/en/read-na28-online/、 2014年2月20日閲覧)
4.『天界と地獄 原典訳』 スヴェーデンボルイ著、スヴェーデンボルイ原典翻訳委員会訳、アルカナ出版(1985)
5.『聖書 新共同訳』共同訳聖書実行委員会訳、日本聖書協会(2008)
6.『ダンテの地獄を読む』平川祐弘、河出書房新社(2000)
7.『梅原猛著作集4 地獄の思想』梅原猛、集英社(1981)
8.『死の比較宗教学』J・ボウカー著、石川郁訳、玉川大学出版部(1998)
9.『神曲 上・中・下』ダンテ著、山川丙三郎訳、 岩波文庫(1952)