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特集☆院生インタビュー「文学とは何か」

伊藤
さて、いよいよ終わりの方に近づいてきましたが。そして、あまりにも漠然とした話になるんですけども。果たして「文学」はどうあるべきか、ということについてお聞きしたいと思っております。まずは、ご自分の中で「文学」とはどう定義されるものかについてお聞きしてもいいですか?
森迫
「文学」はどう定義されるかということについては、自分は色々考えるところがあってですね。文学の定義って、昔は「これは文学だ、これは文学じゃない」みたいな分け方があったんですけど。文学の定義は多分無い、と思っています。何故かって言うと、例えば『万葉集』が文学になったのっていつだろうっていうことを考えてみる。『万葉集』に載っている歌を詠んだ人っていうのは、別に文学ということを考えていなかったですよね。でも、それは文学になったわけで。自分が思うままに詠じた歌が後々に文学として認められた。そういうのをずっと辿っていくと、近代の初期も夏目漱石なら夏目漱石の作品で、文学になったのはいつなんだろうって思うんですよね。そういう風に考えると、今我々の周りにあるものも、いつかは文学になる可能性があるんですよね。武者小路とかはその話が当てはまるんですけどね。例えば、文学研究を考えるときに、昭和頃武者小路がなんて言われたのかっていうと、「なんだ武者か」っていう。そういう風に言われてた時代があったらしくて。武者小路作品っていうのは、読まれるけれども、研究に値するものではないと言われていた時代があって。でも、それは違うなあって、やっぱり自分は思うんですよね。だから、文学っていう定義は多分できないんですよね。残っていくもの、もしくは人に影響を与えて長く読み継がれるものが文学になっていくっていうだけなんですよね。だから、たまに文学作品として武者小路作品ってどうなんですかねえという話が出てくるんですけど。「じゃあ、あなたは文学作品は何だと思ってるんですか」と尋ねたい。文学作品っていう何か基準があって、そこから演繹することは多分できないと思うんですよね。
伊藤
なるほど……。
森迫
それで、これはお世話になってる先生から聞いたんですけど、ちょっと前……我々からするとずっと前だと思うんですけど。ちょっと前までは、文学っていう名目で授業を作っている大学で、近代文学なんてものを取り扱っているところはなかった。でも今は、「昔からやってますよ」って顔して近代文学の授業ってありますよね。そんなことを、その先生はお話してくださったんですよ。だからもう少ししたら、「昔からやってましたよ」っていう感じでアニメ研究の授業をする大学が出てくるかもしれないってその先生はおっしゃってて。
伊藤
でも、もうちょろちょろアニメ研究は出てきてますよね。文学の領域で行われているのかどうかはわかりませんが。ラノベはもう、そこそこ知名度を得てきていて。で、これまでは文学って文字の話だったじゃないですか。文字だけのメディアを扱ってきていた。今アニメの話が出ましたけど、アニメについてはどう思われますか? アニメ、映画も含めて。演劇とかは、文学に含まれることもあるじゃないですか。そういう視覚的な要素も含めた芸術に関しても、文学の範疇に含めてもいいんですかね?
森迫
それを含めないって言っちゃうと、そういうものを研究しているところもあるので怒られちゃいますし。それは、大いに範疇に入ると思います。むしろ、そういう枠組み時代が機能しなくなるような、もっと新しい枠組みを作らなくちゃいけない日が来るんじゃないでしょうか。
伊藤
僕が最近少し思うのは、Twitterとかも文学になりうるんじゃないかなって。
森迫
それも多分、出てくるんじゃないですかね。
伊藤
文学として研究するのかというと、また分からないところですけど。
森迫
ちょっと前に人工知能で話題になったやつがありますよね。女性の形したお掃除ロボット。でも、それはどうなんだっていう批判がありまして。これは正確な記憶じゃないんですけどね。掃除ロボットみたいなやつが、女性の形をしていたと。で、それは当然批判にさらされるわけですよ。そしたら、Twitterとかで批判が上がったものを人工知能の雑誌が「Twitterにおける批判のあり方」みたいな感じで取り上げていたんですよね。だから、研究対象としてTwitterとか公開されているSNSの情報とかが研究対象になるっていうのは、出てきていますよね。
伊藤
何と言うか、情報量が増える気がしますよね。僕らは、明治とかの情報を調べるためには、活字になったものを調べるしかなかったわけじゃないですか。でも、現代のものって恐らく膨大な量の情報が残っていくと思うんですよ。この先どうなるかはわかんないですけど。
森迫
まあ、膨大になるか、ある程度の区切りをつけて、「こういう発言が多かった」というものから出発して、確実に言えるところを論述なりに含めていくという方法になるんじゃないですかね。膨大すぎると、扱いきれなくなりますからね。
伊藤
なるほど……。
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