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特集☆院生インタビュー「武者小路実篤について」

伊藤
さて、その純文学の中で、実篤を専門的にやろうと考え、今も取り組まれていますよね。修士論文も、もちろん実篤で?


森迫
そうですね。


伊藤
ですよね。卒論からずっとやられていたと思うんですが、実篤との出会いからお聞きしたいと思います。実篤作品を始めて読んだ時期、何を読んだのかをお聞きしたくて。


森迫
あの、実は、武者小路実篤との関わりっていうのは、思い返せば実はものすごく深いんですよ。何でかって言うと、自分は宮崎県出身なんですよ。宮崎県には、「新しき村」っていう武者小路がつくった共同体があって。それ関連の施設に幼稚園生か小学校低学年の頃に行ったことがあるんですよ。そのことは、大学に入るまですっかり忘れてたんですけど。そういう縁もあってか、丁度日本文学特殊講義のときに、1910年代くらいまでの文学作品を自由に論じなさい、というのがあって。「どうしよう、興味のある作品が、うーん……」みたいな感じで。「あ、『友情』薄いな」って。


伊藤
なるほど(笑)


森迫
これならずっと積読にしてたしいけるかもしれないと思って読んだら、そのときは武者小路の「む」の字も知らないような、作品も全然読んだことなくて、凄く堅そうな感じだなあと思ってて。


伊藤
武者小路は名前凄いですもんね。


森迫
そう、名前が凄い。


伊藤
それは、学部何年のときですかね?


森迫
二年のときだったかな。二年の後期。で、そのときに『友情』を手に取ってレポートのために読んでみたら、凄く感動して。ラストの見開き一ページ分にびっくりしちゃって。だって、自分が好きになった女の人がいて、その女の人との恋愛を成功させるために親友にもお願いして。応援してもらうけど、親友とヒロインがくっついちゃって。で、親友とヒロインがやり取りしたラブレターをまざまざと見せつけられて。もう、鬼畜の所業みたいな(笑)そんな過酷な試練を与えられたのに、普通だったらへこむはずなのに、立ち上がろうとするっていうのが本当に衝撃的で。


伊藤
なかなか現代では有り得ない発想ですよね。みんなへこみますよね。


森迫
だから、レポートのために「友情」を読んで感動して。もっと他のものを読んでみようと思ったのが初めです。


伊藤
なるほど。実篤は独特なところがありますよね。世界観というか、倫理観といった方が近いのかもしれませんが。僕は短編小説集を少し読んだだけなのですが、うーん……違いますよね(苦笑)


森迫
色々研究を進めていく、彼が何を考えていたのかとか、なんでこういう作品になったのかということのルーツが見えてきたんですよね。そこも面白いところではありました。最初は何故この作品が面白いのかってことでレポート書いただけだったんですけどね。でも、7000字書きましたねえ。


伊藤
7000字もですか! 多分、指定は4000字以上とかですよね?


森迫
そのときは3000字だったかな。だから、面白くて。今見ると論証を緻密にやっているわけではなくて、内容の要約みたいな部分もあったんですけど、やっぱりそれだけのものを……やっぱり、最初3000字ってきついじゃないですか。


伊藤
きついです(笑)


森迫
きついのに、書かせてくれた「友情」という作品の力。


伊藤
本当にすごいと思います。僕は、レポート書くときいつも文字数ギリギリになっちゃうので。実篤の作品に出てくる主人公・キャラクターがそういうキャラクターなわけじゃないですか。何にもへこたれないというか。ちょっと違いますかね。ある特殊な倫理観を持っているというか。


森迫
まあ、武者小路自身の分身だと言われることは多いですよね。


伊藤
その登場人物たちが、森迫さんにとってヒーロー的な存在なんですかね?


森迫
いや、それはちょっと違うかな。


伊藤
ヒーローではない?


森迫
ヒーロー、ではないですね。ヒーローっていうと全面的な信頼を置く感じですけど、そうではなくて。まずは「自分を生かすんだ!」っていう人物たちが武者小路作品には出てきますよね。自分が生きて、それでいて他人も生きる道を探るっていうのが、武者小路の主人公たちなんですけど。自己否定的だった自分がいて、特に二年生のときはそれが強かったんですけど。自己否定が強すぎて、授業があってる教室にいられなくなっちゃうくらいの。授業開始五分前とかに、そこに座っていられなくなって教室を出ちゃうみたいな。こんな状態で自分が授業を受けるなんて、みたいな。そう思ってた時期があって。でも、武者小路は「俺は自然に生かされているんだ!」って感じがして、自己肯定感に溢れている。しかも、それは自分の中にしっかりと根拠がある。そういうところに助けられたというか。それは、武者小路たちの主人公に感謝したいところですね。


伊藤
ヒーローではなく……。完全にその人物になりたいというわけではないんですね。


森迫
そうですね。恋愛観とかにしても、それはダメだろうみたいなところはありますよね。


伊藤
「えー!」って思うところありますもんね。
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特集☆院生インタビュー「本、そして文学との出会い」

前回(「院進学について」)に引き続き、院生インタビュー大二弾!
今回は、森迫さんとの本や純文学との出会いを聞いてみました。


伊藤
次は、文学に関しての質問をいたします。大雑把な質問になるんですけど、記憶している限りで、自分が一番初めて読んだ本、自分の本との出会い、文学との出会いというものを教えていただけませんか?

森迫
それは、意識的に何か読み物を摂取しようとしてはじめたところ、ということですか?

伊藤
そうではなくて、本を読もうと思ったきっかけですね。例えば僕は、小学校二、三年くらいのときに怪傑ゾロリとか、ズッコケ三人組とかを読んだのが、読書体験のはじめということになるんですけど……。

森迫
はいはい、なるほど。

伊藤
僕は、そこからいろんな本を読んでみようと思ったんですよね。そういった類の経験をお聴きしたいと思っています。

森迫
小学生の頃から掘り起こすんだったら、『地獄堂霊界通信』シリーズ。悪がきシリーズっていえばいいのかな。確か作者は、香月日輪って言う人で、『妖怪アパート』シリーズ書いて、最近、人気だった作家さんですかね。

伊藤
その本は、どこで読まれてました?

森迫
学校の図書室でした。エンターテインメント作品で、イラストも入ってましたから、読みやすかったんですよね。妖怪と人の心の何かを結びつけるようなエンターテインメント作品、非常に面白かった覚えがあります。そこから色々と探し始めてなぜか『十五少年漂流記』を読んだりもしました。もうどんな話だったか覚えてないけど、『海底二万マイル』も読んだ覚えがありますね、小学生のときに。

伊藤
僕はそういう冒険小説系を読んだことがなくて……。いつかは読みたいと思ってるんですけどね。

森迫
本を読んでみようと思ったきっかけは、やっぱり楽しかったからですね。

伊藤
やっぱり、そうですよね。……それで、そういう本と、文学、所謂「文学」の方というか、純文学というのは、また雰囲気が違うじゃないですか。

森迫
そうですね。

伊藤
純文学、例えば実篤だったりとか。そっちの方面に興味を抱いたきっかけを教えていただけますか?

森迫
ううん……(考え込む)。

伊藤
あ、でもそうか、何を以て……。

森迫
そう、何を以て、所謂「文学」とするのか。

伊藤
本が好きなら、本を読むだけって言う人がたくさんいるじゃないですか。今流行っている作家で言えば、宮部みゆきとか。

森迫
東野圭吾とか。

伊藤
そうですね。

森迫
そっちではなくて……?

伊藤
「自分は純文学が好きだ!」という気持ちをお持ちだと思うんですよね。で、それはやっぱり、僕らが勉強したり、研究の対象にしたりすることじゃないですか。その方面に向かおうと思ったきっかけをお伺いしたいです。

森迫
それなら、レポート書いたのがきっかけですかね。

伊藤
もう、大学に入ってからですか?

森迫
そうですね。だから、文学については、意外と何も知らない状態で入ってきたんですよね。高校生のときに橋本紡のライトノベル『半分の月が上る空』を読んで、だけど、古典の授業も面白くて。じゃあ、自分が面白いて言われてるルーツってなんなんだろう、とうことしか考えてなくて文学部に入ってきたので。

伊藤
あー、「面白い」ですか。

森迫
そう、「面白い」。で、じゃあその文学作品が残ってるっていうのは、何かしらやっぱりその時代その時代で面白かったりしたから残っていったんだという風に思って。じゃあ、人々は何を残して来たんだろう、どうして残して来たんだろう、みたいな。実際に、自分が読む対象としての文学作品んを選んできたのは、例えば概論の授業で夏目漱石の『坊ちゃん』についてレポートを書いたときに、「あれ、これは読みやすいぞ!」と思って。

伊藤
そうですね、あれはすごく読みやすいですね。

森迫
気に入らない奴を坊ちゃんがぶん殴るみたいな話じゃないですか(笑)

伊藤
そうですね(笑)

森迫
あ、これも文学かと思って。レポート書いたら、意外にいけたんですよ。だから「あ、文学も良いな」と。

伊藤
『坊ちゃん』ですか。『坊ちゃん』は読みやすくて良いですよね。僕、漱石は『虞美人草』とかで躓いちゃって。だから、やっぱりギャップがあるんですよね、文学の世界って。そこの、難しいところを究められる人っていうのは、何が違うんですかね(やや話がそれる)。

森迫
経験じゃないですかね。

伊藤
経験、ですか。あれもやっぱり、浸透してくると、読みやすくなってくるんですかね。

森迫
いやあ、『虞美人草』は自分もきつかった覚えがあるんですよね。前半部分の感じとか、「いや、その結婚は本当の~じゃない」みたいな風になって、「ダメです」って言われたら藤尾が発狂して死ぬみたいな。なんだこれは、みたいな。やっぱり、好き嫌いはあっていいんじゃないかなと思います。

伊藤
そうですよね、やっぱり好き嫌いが関わってくるところなんですかね。

森迫
ただ、やっぱりなんでこの作品が残ったんだろうということを考えないと。例えば、随分むかしの研究者なり、評論家なりが「面白い」って言ってるけど、自分は全然面白くないなと考えている。そうしたら、そこで「なんでだろう」って考えられますよね。

伊藤
面白くない理由を?

森迫
そうです。で、もしかしたら面白くないと思ってたけど、「こんな読み方があるのか!」という発見と新しい出会いができるかもしれない。

伊藤
なるほど。単純に表層だけではなく、それが表しているもの、みたいなものも読み取れるかもしれませんね。深層にあるもの、と言えばいいでしょうか。

森迫
うん、そういうのもありですよね。

伊藤
例えば、僕は授業で梶井基次郎の『檸檬』をやったのを覚えてるんですけど。『檸檬』って、一読しただけじゃ何も分からかったんですよね、当時の僕は。でも、先生の話を聞くと、「こんな読み方もあるんだ」という発見がある。それと似ているんですかね?

森迫
そうですね。で、また、読む時期が違っても、違うものがありますし。

伊藤
あー、そうですね。僕はこの前、『人間失格』を再読したんですよね。確か、三回目です。そうるすと、やっぱり高校生のときに読んだ感想とは違うなあと感じました。見る視点が変わった、と言いますか。

森迫
自分も、結局のところは文学には、面白さから入ったんで。直観的な面白さから。

伊藤
そうですよね、やっぱり文学って面白いですもんね。

特集☆院生インタビュー「院進学について」

特集☆院生インタビュー第一弾!
本日は主に「院進学について」聞いた箇所をまとめてあります。
院に進学しようと思っている人、はたまたまだ迷っている人は是非読んでみてください!



伊藤

よろしくお願いします

森迫
よろしくお願いします

伊藤
それでは、さっそく最初の質問です。どうして、院に進学しようと考えたのかというこにについて、お伺いしてもよろしいですか?

森迫
まあ、色々理由はあるんですけど。学部時代にレポートとか書いてるときに、文学作品を読んで、それを、自由に自分で論じることができる、という課題を与えられたときに非常に面白かった、というのがありますよね。それで、その流れで卒論まで書いたときに武者小路を選んだわけですけど、この分野でまだ自分にはできることがあるっていう風に思って。この卒論だけで終わったら勿体ない、みたいな。

伊藤
消化不良みたいなことですか?

森迫
消化不良というよりは、まだクオリティをあげられるということが一つ。もう一つは、コースが高校国語のコースなので、やっぱり高校生とかに向けて自分が文学を語れる人間にならないといけないと思って。やっぱり、文学は活かせないといけないと思って。その部分が自分はまだ不徹底だなと思っていました自分の中で文学を高めるために、院に進学したという感じです。

伊藤
なるほど。じゃあ、将来はどうされるんですか? もう、今年卒業……

森迫
修了?

伊藤
ですよね、修了になりますよね(冷や汗)。もう、その後はどうされるとか決めてらっしゃるんですか?

森迫
もう、教採を受けるつもりなので。

伊藤
なるほど、やっぱり教師になって、自分の培ったものを、届けるみないな感じになるんですね……ありがとうございます。

さて、次の質問にいきます。LITECOを見てくれている人は学部生が多いと思うのですが、その中には院に進学しようと思う人がいると思うんですよね。そこで、院に進学するために必要なことを教えていただきたいと思います。物質的なものも、心構え的なものも含めて。

森迫
あの、進学したいと思えば進学して良いと思うんですよ(笑)ただ、日文の方の院に進学するんだったら、修士論文八万字なので。

伊藤
八万字ですか(苦笑)

森迫
(卒論の)倍書かないといけないので。

伊藤
そうですよね……。

森迫
スキルとしては、文章をしっかりと書けるスキルが必要ですね。

伊藤
八万字ですもんね。

森迫
まあ、一度卒業論文を経験してからの二年間というのは、自分がしっかり勉強すれば濃密な期間になるので。例えば、一年生の終りで、タームペーパーを出さないといけないんですけど……

伊藤
タームペーパーと言うのは?

森迫
中間報告みたいな

伊藤
ああ、なるほど。

森迫
それが、最低一万字なんですけど。

伊藤
一万字ですか?!

森迫
でも、同じ院の学生とも話してたんですけど、二万字いったんですね。

伊藤
あー!(驚く)

森迫
なんで卒論の時に、あんなに苦しんだんだろう、みたいに思ったんですよね。

伊藤
二万字……苦労せずにですか?! 書きたいことを全部詰め込んだら、二万字に?

森迫
まあ、演習の時の発表とかの時の、原稿とかをまとめた感じなんですけどね。でも、二万字いったので。だから、一年間でかなり力が付くと思いますよ。やる気があればつく。だから、そこはあまり心配しなくてもいいかなと。

伊藤
なるほど。

森迫
あと、まあ心構えとかもいろんなこと言う人がいるんですけどね。そんな大層なものは必要ないって言う人もいたり。ただ、自分はどちらかといえばストイックにやりたい方なので。自負と言うか、院でこういうことをしっかりと勉強して、何か、こう、やってやるぞ! みたいな。

伊藤
意気込み、みたいな。そういうのがあるといいんですかね。

森迫
やる気は絶対に必要だと思います。やる気が無いと、何か言い訳を作ってしまう。これ、できるんですよ。言い訳つくって「時間がなかった」みたいに言うことは。できます。でも、それだと中身が伴わない。

伊藤
そうですね。

森迫
もし院に進もうと思うのであれば、自分の研究に対するやる気、というか。

伊藤
やっぱり、好きだかっていうか、それが好きだからやるっていうか。

森迫
そう、好きだから、面白いから。もっと言えば、こう、なんというか、野心というとアレですけど。

伊藤
これで自分は何かを変えてやる、という感じですか。

森迫
先行研究が色々あるわけじゃないですか。そこに自分がどうにかして食い込んでやるぞみたいな。

伊藤
なるほど野心ですか。野心……。

森迫
野心。

伊藤
(少し話変わりますけど)僕、結局院に進学するために、その壁が分からないんですよね。入試のときには何があるのかみたいなことをお聞きしたいんですけど。

森迫
入試ですか。事務室にいけば、過去問とかはもらえるんですけどね。えーっと、基本的な文学史。だから、先生が変わったからどうなるかわからないですけど、概論で説明されたような文学と、語学の知識。だから、問題としては例えば、文学だったら「次の項目のうち、四つから三つを選んで知るところを書け」って。志賀直哉について! とか。そのときは、志賀直哉について知っていることをひたすら書く。だから、概論の勉強をしっかりやっていればそんなに飛び抜けて、跳躍した内容というのは今までなかったので。

伊藤
どちらかというと、やっぱり知識が要求される?

森迫
知識ですね。
伊藤
網羅的な。

森迫
そうですね。

伊藤
志賀直哉についての知識と言われると、僕はあまり……。

森迫
まあ、基本事項とか一般的に言われいてる文学史的な事項で良いので。だから、しっかりと概論の授業を受けて、自分で勉強して。例えば語学だったら、「方言周圏論とは何か」みたいな。

伊藤
うわあ、難しいなあ。

森迫
まあ、その過去問とか、概論が今どうなってるか分からないですけどね。井原先生のときは、日本語概説の教科書の、大事だと言われたところを勉強しましたね。

伊藤
なるほど……。色々勉強になりました、ありがとうございます。

森迫
あ、あと崩し字は読めた方がいいですよ(笑)

伊藤
うわー、そう、崩し字なんですよね。僕、全然崩し字読めなくて。未だに慣れなくてですね……。

(続く)



次回は森迫さんの読書体験、文学の端緒に関する部分をまとめます!

特集☆院生インタビュー まとめ

特集「院生インタビュー」のまとめページです。リンクから、各回の記事へ飛ぶことができます。


第一回
特集☆院生インタビュー「院進学について」

第二回
特集☆院生インタビュー「本、そして文学との出会い」

第三回
特集☆院生インタビュー「武者小路実篤について」

第四回
特集☆院生インタビュー「学部生時代との違いとは?」

第五回
特集☆院生インタビュー「文学とは何か」

第六回
特集☆院生インタビュー「文学は社会にどう資するか」

第七回
特集☆院生インタビュー「最後の質問と、フリートーク」

古典文学への片思い

栃木県 私立高校2年
オオシマミユ


 文学と聞いて頭に浮かんだのは古典文学だった。 それもそのはず机の上には常に、母親から譲ってもらったケース付きの古今和歌集やら枕草子が置いて ある。私はこの作品たちを愛してやまないのだ。とは言っても幼き日から古典を読みあさっていたわけではない。小学5年あたり までは児童向けの文庫本や、小学生でも読めるレベ ルの分厚い本などを読んでいた。しかし何を血迷ったのか小学校高学年の頃に古典 に魅了されてしまったのだ。これが長 い長い恋の始まりであるとその時の私は思いもしなかった。

 初めて読んだ古典は枕草子だ。偶然家の書斎から 発掘したものであるが、もちろん読めなかった。な ぜなら全て歴史的仮名遣いでところどころの注釈も 全くわからなかったからだ。わからないくせに読む 気になった当時の私にはぜひとも金一封を差し上げ たい。そこから少しずつわからないなりに読み進め ていくとだんだんとそのひらがなの魅力に取り憑かれ、ついに数百段にも及ぶ枕草子を読み終えてしまった。あの並ならぬ達成感は今でも忘れられない。しかしそれ以上に感じたのは、この日記の中にある知識を取り込めて嬉しいという事だった。その後枕草子だけでは飽き足らず書斎にある古典を引っ張り出しては読んだ。特に 和歌はとても優しくて繊細で、その暖かさに私は惹かれた。正直に言うと今でも長い長い文章より五七 五七七のほうが好きだ。伝えたいものがストレート に胸に届き、満ちるあの感覚は病みつきになる。

 そうして高校生になり国語の授業内容もだいぶ濃くなってきたある日。年配の国語の先生は声を張り上げて、唐詩選は読んでおいて損はないと言ったのだ。もちろん光の速さで買いに行った。そして開くとそこには美しい漢字の羅列、韻、対句…巧みな情 景描写に織り交ぜられる作者の心情などが決まった 字数で表されている。今まで漢文といえば「子曰く〜」の孔子くらいしか知らなかった私に感電したような衝撃を与えてくれた。

 和歌や漢詩は字数が限られているものがほとんどで、水飴のように練られた言葉はすんなりと喉を通らずにねっとりと余韻を残していく。この甘さと濃密さが私を掴んで離さない。私が古典文学、特に「うた」を愛する理由はここにある。

 この気持ちを古今和歌集から引用すると、この和 歌がいちばん近い。

   “いで我を 人なとがめそ 大船の ゆたのたゆたに もの思ふころぞ”

 大きな船がゆらゆら揺れるように大揺れに揺れて恋 をしている私を誰も咎めなさるな、と。そうだ、誰 も咎めなさるな。私にとって古典は生きる糧なのだ から。

 この恋はおそらくずっと片想いだ。しかしそんな 世界に私は足を踏み入れてしまった。もう引き返せ ないし引き返さない。古典文学への思いはとどまる ことを知らない。

 嗚呼已矣哉。