http://liteco.ky-3.net/%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88/%E3%80%8E%E5%9B%9B%E8%B0%B7%E6%80%AA%E8%AB%87%E3%80%8F%E3%82%92%E6%8F%8F%E3%81%84%E3%81%9F%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%9F%E3%81%A1『四谷怪談』を描いた作品たち
比較文学専攻
マジマ
【はじめに】
『東海道四谷怪談』、通称『四谷怪談』。日本人ならば、怪談と聞いて真っ先にその名前を連想する人は多いのではないだろうか。江戸の狂言作家、鶴屋南北晩年の大傑作であり、幾度も様々な媒体によって現代まで脈々と語り継がれている『四谷怪談』。今回私はその『四谷怪談』を題材として描いた映画、アニメーションといった様々な作品群の検討、そして原作との比較を試みることで、それぞれの作品における表現の特色、そしてなぜこれほどまでに『四谷怪談』という物語が語り継がれるのか、その魅力を明らかにしていきたいと思う。
【作者紹介】
四世鶴屋南北 1755年(賽暦5年)、江戸の日本橋、新乗物町に、紺屋の型付職人の息子として生まれる。幼名は源蔵。新乗物町は、中村座、そして市村座という江戸三座のうちの二つに隣接しており、そのことが彼の人生観に影響を与えたと考えられる。家業を捨て、芝居の世界へ飛び込んだのは南北21歳の年。その翌年に彼の名前(当時の名前は櫻田兵蔵)が初めて、櫻田治助の弟子として市村座の番付に並ぶことになる。その後、彼は師を離れ、名前を澤兵蔵、勝俵蔵と改めた後、1811年(文化8年)に57歳で四世鶴屋南北を襲名することになる。彼が立作者となるのは1801年(享和元年)、河原座において。その4年後、彼は河原座の夏興業において、出世作『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』を発表。この作品は江戸で大評判を呼び、彼は立作者としての地位を不動のものとする。その後、当時としては奇抜な技巧や、刺激的な描写を得意とした彼は、厳しいリアリズムを追求した狂言、「生世話狂言」というジャンルを確立。そして1825年に晩年の大傑作『東海道四谷怪談』を発表するのである。その他、晩年の傑作品としては、『獨道中五十三次』、『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』などがある。1829年(文政12年)、死去。最後の作品は『金幣猿島都(きんのざいさしまだいり)』であった。
【書誌】『東海道四谷怪談』河竹繁俊校訂 岩波文庫 1956年
『日本怪談劇場』東京12チャンネル(現テレビ東京)制作 監督:堀内真直 1970年
『怪 〜ayakashi〜』東映アニメーション制作 監督:今沢哲夫 2006年
【使用テキスト】『東海道四谷怪談』河竹繁俊校訂 岩波文庫 1956年
第一章『東海道四谷怪談』について
○『東海道四谷怪談』と『忠臣蔵』
そもそも四世鶴屋南北が最初に描き、上演された『東海道四谷怪談』は独立した単体の作品ではなく、当時絶大な人気を誇っていた歌舞伎狂言『忠臣蔵』、その合間に挿入された物語として『忠臣蔵』と抱き合わせて二日に分けて上演された作品であった。具体的には第一日目、『忠臣蔵』を大序から六段目まで見せ、その後『四谷怪談』の三幕目までを見せた。続く第二日目に『忠臣蔵』七段目以下、そして『四谷怪談』三、四、五幕目を見せたのち、終わりに『忠臣蔵』討入の場面を置く、という構成であった。そのため『東海道四谷怪談』には、『忠臣蔵』との関係性を匂わせるような場面や人物が幾度か登場する(資料①)。
もちろん、このような構成は当時としても珍しく、また冒険的な試みであった。このことから、南北がいかに『四谷怪談』という己の新作狂言に自信を持っていたかを窺い知ることができよう。
○『東海道四谷怪談』の下地
『東海道四谷怪談』は当時市井において話題となっていた様々な噂話や説話などを骨組み、下地として構成されている。それらの主なものをまとめると、以下のようになる。
1) 四谷左門町に住んでいた田宮又左衛門伊織の娘、お岩がその婿、伊右衛門と彼らの仲人秋山長左衛門に騙されて、その嫉妬のために憤死。以後怨霊となったお岩が両者の親族、家族を祟り殺してその血を根絶やしにしてしまったという説話。
2) 当時、ある旗本の妾(めかけ)がその家の奉公人と不貞を為していることが露見。その罪によってその男女は戸板の裏表に打ち付けられ、嬲り殺しにされた挙句、神田川へ流されたという噂話。
3) 砂村の隠亡堀に、身体を結び合った心中者の死体が流れ着き、それを鰻取りが発見して大騒ぎになった事件。
これらの話を、『謎帯一寸徳兵衛(なぞのおびちょっととくべえ)』、『法懸松成田利剣(のちかけまつなりたのりけん)』などの南北自身の怪談作品を基盤に据えて盛り込み、アレンジを加えた結果完成したのが『東海道四谷怪談』であると言われている。言うなれば『四谷怪談』は、南北怪談劇の総決算と言っても過言ではないのである。
○『東海道四谷怪談』に取り入れられている手法
さて、『四谷怪談』が人気を博したのは筋書そのものの完成度の高さもさることながら、当時としては画期的な、今日で言うところのSFX的な演出手法が用いられたことにも起因している。それらの手法のいくつかをここで紹介しておきたい。
1) 「髪梳き」(資料②) 第二幕にて、毒を飲んだお岩が櫛で髪を梳くと、髪が抜け落ち、顔も崩れていく仕掛け。不気味な造形を表現するため、本来頭皮の地肌を表現するものとして用いる羽二重(はたぶえ)の鬘が用いられた。
2) 「戸板返し」(資料③) 第三幕にて、戸板の裏表に張り付けられて、伊右衛門への恨み言を吐くお岩と小平の二役を一人が演じるための仕掛け。それぞれの役の衣裳があらかじめ戸板の裏表につけられており、戸板に空けられた穴から顔だけを出せるようになっている。
3) 「仏壇返し」(資料④) 第五幕にて、伊右衛門の友人で彼をそそのかした秋山長兵衛が、お岩によって仏壇に引き込まれる際の仕掛け。仏壇の後ろに水車のような装置があり、それを利用することで、長兵衛が消えると装置は一回転して元の仏壇へと戻る。
4) 「提灯抜け」(資料⑤) 第五幕にて、燃え上がる提灯からお岩の幽霊が出現する際の仕掛け。提灯が燃えつきようとする瞬間に、お岩役の俳優が箸箱のような装置に乗って押し出されてくる。これによって、観客からは、お岩が提灯の中から出てきたように見える。
○お岩さんの「祟り」
『四谷怪談』を語る上で避けて通れない要素の一つとして、「お岩の祟り」がある。ことの発端はやはり『東海道四谷怪談』の初演。これが上演されて五年のうちに南北本人、その息子夫婦、親族を含む芝居関係者11人が次々と死を遂げている。それ以降『四谷怪談』を上演するたびに、それに関わった演者に怪我や死が相次ぐようになり、いつしか『四谷怪談』を上演する際には四谷にあるお岩稲荷にお参りをしなければ祟られるという噂が流布するようになった。ただし『四谷怪談』は、それに用いられる仕掛けが技巧を凝らしたものであるという性質上、演者が怪我しやすいということもあり、その事実も多少は起因していると考えるべきであろう。また『四谷怪談』は芝居だけでなく、講談でも語られるようになったが、その第一人者である講釈師、柳亭一竜斎貞山は、『四谷怪談』を開始してからというもの怪異に苛まれ、昭和41年に「お岩さま」とうわごとを言いながら悶死している。「祟り」というものが果たして存在するのかどうかは私には判断しかねることであるが、『四谷怪談』の裏にはこのような薄気味の悪い出来事が起こっているという事実に関しては否定のしようがない。
第二章 『日本怪談劇場』における『四谷怪談』
○概要
この作品は、テレビドラマ作品として制作されたもので、前篇『四谷怪談 稲妻の巻』と後篇『四谷怪談 水草の巻』から成る。映像時間はそれぞれ約47分。脚本は成澤昌茂氏が、監督は堀内真直氏が務めている。
○あらすじ
・『四谷怪談 稲妻の巻』
主人公、民谷伊右衛門は傘張をして生計を立てている御家人崩れの浪人。過去に色町で働いていたお岩という美しい女性を妻にもっているが、伊右衛門はそんなお岩に愛想が尽きかけている様子。とうとう伊右衛門はお岩を突き飛ばし、彼女を流産に追い込んでしまう。そのような折、伊右衛門はその友人でやくざ者の直助権兵衛とともに、町で金持ちの商家である伊藤家の娘、お梅を暴漢から助ける。しかし、その暴漢は実は伊右衛門と伊藤家に繋がりをもたせるために直助の仕向けた者であった。直助の計略通りにお梅は伊右衛門に惚れ込み、その父親伊藤喜兵衛は伊右衛門に縁談を持ち込む。伊右衛門はお岩を捨てるという良心の呵責に耐えきれず、縁談を一旦は反故にしかけるものの、お岩の妹、お袖の旦那、小平と不貞を犯していると直助に吹き込まれてその心は揺らぐ。さらに直助は妙薬と偽って毒の塗り薬を按摩の宅悦を使って、お岩に送り届ける。薬と信じたお岩はそれを服用。醜く顔が崩れてしまい、その時偶然一緒にいた小平もろとも、伊藤家から帰ってきた伊右衛門に斬り殺されてしまう。
・『四谷怪談 水草の巻』
小平とお岩を惨殺した伊右衛門の前に、タイミングよく直助が現れる。直助はことが露見してはマズイと伊右衛門を追い立てたのち、二人の死体を戸板の裏表に張り付け、水草生い茂る川へと流してしまう。伊右衛門の方はというと、無事伊藤家にお梅の婿として迎えられるものの、その初夜お梅の顔がお岩に、喜兵衛が小平に見え、狂乱した伊右衛門は二人を斬り殺してしまう。茫然とする伊右衛門の耳に届く、お岩の恨み言。それによって伊右衛門は小平との不貞が自分の誤解であったことを知り、お岩に許しを乞うのであった。一方、宅悦からお岩と小平が切り捨てられたことを聞いたお袖の前にもお岩と小平の怨霊は姿を現し、その恐怖からお袖は働いている遊郭の常連客、佐藤与茂七と再婚する。その後二人は民谷の屋敷へ弔いに赴くが、その先ですっかり意気消沈した伊右衛門に会う。伊右衛門は小平とお岩を斬り殺したことを二人に告白したのち、全ては自分の誤解、誰かの策略に嵌められたと語る。その後、覇気の抜けた伊右衛門がふらふらと徘徊して辿りついたのは、直助が死体を流した例の川。そこで戸板に縛り付けられたお岩と小平の幽霊から、全ての黒幕は直助権兵衛であると知らされた伊右衛門は、その川で直助を待ち伏せる。はたしてやってきた直助を無事に斬り殺してお岩の仇を取った伊右衛門は、自ら割腹してその命を絶つ。そこへ駆けつけたお袖と与茂七は、お岩と伊右衛門の冥福を祈りながら、静かに手を合わせるのであった。
○作品の特徴
『日本怪談劇場』で語られる『四谷怪談』の特徴は、高い特撮技術を駆使したお岩のメイク、登場人物の設定がほぼ一新していること(資料⑥)、そして全ての黒幕が直助権兵衛に帰着しているということである。この作品には左門が登場しないため、伊右衛門は能動的に殺人を犯してはいない。この作品中の殺人は全て直助の悪巧みに操られた結果で、伊右衛門は根っからの悪人ではないということになっている。なので、この作品は原作のようなお岩の怨霊の恐怖ではなく、どちらかというと伊右衛門の心理描写などといった部分にややウェイトが置かれた構成になっている。それによって恐怖感は若干薄れるものの、作品そのものが直助権兵衛に代表される人間の醜い部分を描いた勧善懲悪ドラマとして十分完成されているため、エンターテインメントとして大変面白く見ることができる。つまり、『四谷怪談』の魅力というのは単に「恐怖」だけに集約されているのではなく、その背景の人間ドラマの深淵さもそこに含まれているということが、この作品によって窺い知ることができるのではないだろうか。
第三章 『怪 〜ayakashi〜』における『四谷怪談』
○概要
この作品は2006年に東映アニメーションによって制作されたアニメーション作品。「序の幕」、「二の幕」、「三の幕」、「大詰め」の四話から構成される。映像時間はそれぞれ約23分。脚本は小中千昭氏が、監督は今沢哲男氏が務めている。また、鶴屋南北を語り手として物語に登場させ、毎回冒頭に『四谷怪談』の裏話や南北自身の歴史を語る構成になっている。
○あらすじ
・「序の幕」
原作『東海道四谷怪談』第一幕、第二幕序盤とほぼ同等の内容。お岩のもとに劇薬が届けられるまでを描く。冒頭で鶴屋南北が語るのは『忠臣蔵』との関連性。
・「二の幕」
『東海道四谷怪談』第二幕とほぼ同等の内容。錯乱した伊右衛門がお梅と伊藤喜兵衛を斬り殺すまでを描く。冒頭では四谷怪談の下地となった噂話が語られる。
・「三の幕」
『東海道四谷怪談』第三幕、第四幕とほぼ同等の内容。川での戸板返しの場面から、直助が自らがお袖の実の兄だと発覚して自害するまでを描く。冒頭で語られるは四谷のお岩稲荷に伝わる、お岩が良妻の鑑であったという伝承。
・「大詰め」
『東海道四谷怪談』第五幕とほぼ同等の内容。お岩の幽霊との七夕の一夜から、伊右衛門が与茂七に討ち取られる終末までを描く。今回に限り、冒頭の語りは無し。その代わり、最後に『四谷怪談』の祟りや怪異の紹介と考察について語られた。
○作品の特徴
この作品『怪 〜ayakashi〜』は、原作『東海道四谷怪談』を相当忠実になぞっている。「髪梳き」や「戸板返し」といった、『四谷怪談』ならではの見せ場もしっかりと用意されている。もちろん原作との差異が全くないわけではないが、それは差異というよりは省略に近いものであり、そこに脚本家の意図が絡んでいるとは思えない。言うなればこの『怪 〜ayakashi〜』は『四谷怪談』を忠実に簡略化したものであり、『四谷怪談』の筋を追うだけならば一級品とも言える代物である。では、この作品の特徴はどこにあるのか、というとやはり「鶴屋南北の語り」という目線から物語が進行していく点にあるのではないだろうか。南北自身の解説により、『四谷怪談』の本質がひも解かれていくという構成には、私自身ある種の新鮮味を感じた。そして、その南北の解説は最終的に「お岩さんの祟り」へと帰着する。なぜ現代においてもなお「お岩さんの祟り」は生き続けるのか。作中においてそのような問いに南北は、「観客がお岩の祟りが続くことを望んでいるのだ。いつしか『四谷怪談』は、単なる虚構の物語としてだけの存在でなく祟りそのものになっているのだ」と答える。『四谷怪談』の「祟り」はこの作品にとって重大な魅力の一つであると、『怪 〜ayakashi〜』は南北の口を通して伝えているのである。
【結論】
現代に至るまで幾度となく作品化されてきた『四谷怪談』。なぜこれほどまでにこの物語は語り継がれるのか。その魅力は恐らく、お岩の怨念の恐ろしさという怪談的魅力もさることながら、人間の醜い部分を克明に描き出した優れた人間ドラマとしての完成度、そしてその物語の背後におどろおどろしく憑いて回る「お岩さんの祟り」というオカルティックな魅力。これらの要因が絶妙に絡み合うことで、『四谷怪談』という物語は今でもなお多くの人々を惹きつけてやまないのではないだろうか。今回の研究では時間や資料の都合上、数少ない資料によって底の浅い見解を導くことしかできなかったが、次の機会にはさらに内容を深め、完成度の高い研究にできたらと、切に願う所存である。
【参考資料】『東海道四谷怪談』河竹繁俊校訂 岩波文庫 1956年
『日本怪談劇場』東京12チャンネル(現テレビ東京)制作 監督:堀内真直 1970年
『怪 〜ayakashi〜』東映アニメーション制作 監督:今沢哲夫 2006年
『まんがで読破 四谷怪談』バラエティ・アートワークス 2011年出版
【参考WEB】