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夏目漱石『行人』論 手紙の機能と物語内の時間

熊本大学文学部文学科
伊藤祥太

はじめに

 『行人』は漱石三部作の一つであり、修善寺の大観後の則天去私に至る過程における作品の一つとして読むことができる。「友だち」「兄」「帰ってから」「塵労」の四部構成となっているのだが、このうち前半三部と最後の「塵労」には形式的な相違があることは明白である。

 この「塵労」だけを違う構成にしたことには、物語上どのような効果があったのだろか。また、この小説における時間の流れはどうなっているのか。それらのことについて、適宜先達の考えを引用しながら考えていきたい。

手紙という形式について

 前半三部までは二郎を視点とした一人称小説であるが、「塵労」では語り手が一郎の友人Hに変わる。さらに特徴的なのは、後半部分が兄一郎の友人Hからの手紙という形式をとっていることである(注1)。この手法は、後期三部作として『行人』に続く『こころ』と似たような形式だと言える(注2)。『こころ』では先生に関する事象に重きが置かれていた。しかし、『行人』では実に巧みに主人が入れ替わっており、主人公が一人ではないということ事実には、読み進めていくうちに気付くこととなる。

 物語は初め、二郎とその友人三沢を軸にして進んでいく。兄一郎の登場までは、当然のことながら、一郎が介在することはない。ところが三沢と別れた後、次第に兄一郎に焦点が当てられるようになり、「塵労」にいたっては一郎の独壇場となってしまう。この主人公の入れ替えという荒業をスムーズに、読者に違和感を抱かせることなく行えた理由が、この手紙という形式にある。主人公の視点は確かに変わっている。しかし、形式的には視点が変わっていないというところに、この手法の妙がある。手紙を読んでいるのは二郎だと考えれば、固定焦点は守られている。ゆえに、私たちは視点が変わったということを感じないでいられる。

 この場面のスムーズな転換というのは、手紙という形式のみによって完成されるものではない。「兄」「帰ってから」を読めば、ここで二郎と一郎という二人の主人公が混じりあっており、これも主人公入れ替え装置の一つとして機能していることがわかる(注3)。この二人を繋ぐものはいったい何であろうか。勿論、同じ血が流れていることも理由の一つである。しかし、一郎の妻である直の存在はさらに大きい。絆ではなく、軋轢として二人を繋ぐ役割を彼女は果たしている(注4)

 この軋轢は、双方の主人公にとって重要な意味をもたらす。二郎については「友だち」から引きずっている男女間の問題をより一層浮き彫りにさせる。一郎に関しては、ある種の毒(注5)を持った近代的知に囚われた悩みをより一層深刻化させることになる。主人公が入れ替わることによって、私たちは二郎の悩みに親しく寄り添い、一郎の悩みにも「塵労」の部で深く感情移入することができる。

『行人』における時間

 次に、この小説に流れる時間の問題について見ていきたいと思う。この作品は、二郎の回想形式で書かれている。どうやら、全てのことが終わって、しばらく経った頃の二郎であるようだ。であるから、二郎は過去の自分を少し冷静に見ることができるようになっている。これが過去語りではなく、現在語りであったならばどうなっていただろう。きっと、友人三沢とのやり取りについてもっと感情的に描かれていたに違いない。しかし、作品中ではひどく自己分析的に書かれているし、また、他人のことについても考察した上で書かれていることがうかがえる。

 自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢もまた、あの美しい看護婦をどうする了簡もない癖に、自分だけがだんだん彼女に近づいて行くのを見て、平気でいる訳には行かなかった。そこに自分達の心づかない暗闘があった。そこに持って生れた人間のわがままと嫉妬があった。そこに調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するにそこには性の争いがあったのである。そうして両方共それを露骨に云う事ができなかったのである。(「友だち」二十七)

 二郎の冷静さがわかる部分を引用した。文末は、全て過去形となっている。二郎が三沢を何故か快くないと思い、三沢も二郎のことを快くないと思っている。この事実は、二郎もこの時点で感じ取っていただろう。しかし、この時点では何故快く思っていないか、分かっていなかったに違いない。私にも身に覚えがある。家に帰ってみて、あるいは一週間経過して、そうかあれは嫉妬なのか、そうかあれは羨望なのかなどと、時間が経過してからその感情に名前をつけたり、説明したりすることができる。二郎もこれと同じだ。しかも、非常に高度な分析を行っている。ところで酒井氏はこの性の争いについて書かれた場面について次のように述べている。

 「友だち」の章では、後の章に頻出する「後から知って」(「兄」七)、「今から顧みると」(同・四十二)、「今になつて」(同)といった回想形式が導入されていない。つまり、「友だち」では、語っている時点の二郎による心理分析が施されていないのである。したがって、「自分達の心付かない暗闇」を析出するのは、二郎ではなく、作者であろう。

 つまり、酒井氏は私の述べていることの逆を述べていることになる。これに対する反論を、私の論を組み立てる足がかりとしたい。まず、「回想形式が導入されていない」からといって、「心理分析が施されていない」と結論づけるのは性急である。それは形式的な問題であって、文章の内容を捉えた内容となってはいない。確かに、「自分達の心付かない暗闇」というように、心理分析については曖昧な結果しか出ていない。しかしこれはむしろ、心理分析をしたうえで、それが曖昧な結果だとしても一応結果は出せたのだと解釈するべきだ。「性の争い」と二郎と三沢、二人の間にあるそれまでは曖昧模糊であった感情・現象に名前をつけていることが、分析が入った証拠である。

 また、私にはどうしても酒井氏の言う「『自分達の心付かない暗闇』を析出するのは、二郎ではなく、作者である」ということがわからない。読み手が析出するのなら分かる。テクスト論的な考え方になるが、作者の手から離れた瞬間、そのテクストは読者のものになる。この場面にどんな解釈を加えても、読み手の勝手である。しかし、作者が析出するとはどういったことであろうか。作者の考えはそのまま二郎に反映されているといってもいい。二郎、一郎は当然、漱石の分身である。いや、二人だけではない。『行人』に登場する人物は総じて漱石の分身でしかない。その意味において、二郎が析出できないものを作者漱石が析出できるとするのは、おかしなことなのである。従って、この「性の争い」に関わる部分でも、漱石の過去語りの効果は十分にある。他の部分の過去語りについては、酒井氏が指摘している通り明確に回想とわかる語が付随しているので、より読み取りやすくなっている。

終わりに

 さて、ここまで主人公の入れ替え、手紙、過去語りについて考察をしてきた。漱石は『草枕』や『虞美人草』では漢語表現を多用しているが、『行人』では平易な表現を用いて説明しようとしている。これは、漱石の後期三部作に共通していえる特徴である。修善寺の大観後の則天去私に至る過程の一つとしてこの『行人』があると考えれば、できるだけ平易な言葉で人間の深みをつかもうとする気持ちの表れであろうと推察することができる。言葉が重くなりすぎれば、内容はそれに伴わなくなってくる。漢文表現を使わなくなったことは漱石作品にとってプラスに働いている。言葉自体によって作品の質を保つのではなく、語り方の手法によって質を向上させ、作中人物の言動・心情がより伝わりやすくなっているからだ。




注1. 大久保氏によれば「この書簡体小説の方法を漱石は18世紀のイギリス小説から学んだ」という。

注2. 大橋氏は「結末のHの手紙も、例えば次作『こゝろ』の「先生の遺書」のような、視点人物である青年「私」と表面的には完全に別な世界を描き出している部分なのではなく、むしろ、二郎が「兄から今何う見られてゐるか、何う思はれてゐるか」知りたいという利己的な動機から、両親が心配しているからと「嘘」をついてHに書いてくれるように頼んだ結果であり(<塵労>二十二)、「塵労」とはただ一郎だけでなく、二郎にも、そしておそらくすべての人間にかかわっているのだ」と述べており、同じ手紙ではあるが、その中身には多少の差異があることを示している。

注3. ただし、二郎が下宿を借りてからは主人公が一郎一人のみとなる間がある。これも、一旦兄から離して、読み手の興味をそそる効果がある。

注4. 板垣氏は「弟(二郎・執筆者注)は言葉や心持に現わしはしなかったが、暗黙の間に、心のなかだけで不遇な嫂を温かく抱きとっていたといわれるかも知れない」と言う。北川氏も「二郎の回想という形で進むこの物語を読めば誰しも、無意識的なものであれ、二郎が直にどうしようもなく惹きつけられていることに気づくだろう」と指摘している。行動にこそ移さないものの、暗闇の中で嫂の姿にドキリとするなど、二郎にもやましい心がなかったわけではない。この気持ちが、三角関係を生む。

注5. この毒によって、一郎は言葉では説明できない存在の直に苛立ちを覚えることになる。その結果、彼はついに新しい宗教に向かうことになる。この転換を書き記したのが、「塵劫」の後半にある手紙だ。




参考文献
板垣直子『漱石文学の背景』 1984年 日本図書センター
大久保純一郎『漱石とその思想』 1974年 荒竹出版
大橋健三郎『夏目漱石 近代という迷宮』 1995年 小沢書店
北川扶生子『漱石の文法』 2012年 水声社 
酒井英行『漱石 その陰翳』 2007年 沖積社




(このレポートは、大学二年生時に課題提出用として執筆したものに若干の修正を加えたものです。)
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源氏物語翻訳についてー与謝野晶子の創作的な訳を通してー

熊本大学文学部文学科
伊藤祥太

はじめに

 初学の者にとって、『源氏物語』を原文で読むというのはハードルの高いことである。全文を通して把握しようとするならば、まずは現代語訳から読破する人も多いのではないだろか。これは、例えばロシア語で書かれた『罪と罰』を初めは日本語訳で読むのと変わらないであろう。古典作品の現代語訳と、外国語作品の翻訳とは、基本的に同じような問題を抱えているように思う。本稿では、古典作品における現代語訳の問題を、外国語作品の翻訳の話も多少交えながら探っていこうと思う。

現代語訳の分類

 『源氏物語』の現代語訳と言っても、その方法にはいくつかの類型がある。立石和弘氏 によれば、「ダイジェスト本」、「全訳本」「リライト本」の3つに分類することでができる。ダイジェスト本は抄訳と言ってもよく、エピソードや和歌、言葉の枝葉が削ぎ落とされている部分がある。「全訳本」はその名のとおり全訳あるが、必ずしも逐語的な訳になっているとは限らない。最後のリライト本はいわゆる「翻案小説」と呼ばれるもので、そこには翻訳者(翻案者)の創意が大いに含まれている。

 初学の者が原文で源氏を読むのは苦しいが、全訳でもやや苦しい。『日本古典文学全集』や『源氏物語評釈』なども全訳に含まれる。これらの本は源氏物語のそもそもの雰囲気を保とうとして、現代の日本人が文章を書いたり読んだりする感覚とは少し離れてしまっている(もちろん、そもそも訳された年代が古いという要因もある)。私が今回例にとる与謝野晶子『全訳源氏物語』も全訳に分類されるものである。源氏物語に書かれている情報をそのまま現代語訳に置き換えようとするから、このような感覚のズレが生まれてくる。これを現代の感覚に直そうと思えば、それは源氏物語の世界感や情報を保つことができなくなるかもしれない。このような問題は、上でも指摘したように外国語作品と共通する部分が大いにある。それでも良いから、とにかく源氏をある形で受容してもらいたいと考えて生まれたのが、「ダイジェスト本」や「リライト本」といった類のものなのだろう。

与謝野晶子の訳した源氏物語

 与謝野晶子は生涯に二度、源氏物語の訳を刊行している。最初の訳本は明治四十五~大正二年にかけて刊行された『新訳源氏物語』。二度目の刊行は、昭和十三~十四年にかけて出された『新新訳源氏物語』である。この二つの新訳はそれぞれタイプが異なっている。『新訳』の方はいわゆるダイジェスト本に分類されるもので、『新新訳』の方はそれよりも全訳に近いものとなっている。本稿では、この『新新訳』を例にとって、源氏物語の現代語訳の問題について考えていこうと思う。なお、私の手元にあるのは『新新訳』が文庫化された『全訳源氏物語』であるから、今後は一貫してこの本を『晶子全訳』と呼ぶこととする。

 与謝野晶子は十一、二歳の頃から『源氏物語』に親しんでいる。そんな彼女がこの全訳を完成させたのは六〇歳のときのことである。つまり、五十年も源氏を愛読した者が訳したのであるから、私の思い至らない深淵な思考が含まれているのだと推察する。しかし、源氏にあまり慣れ親しんでいるとは言えない私から見えることもまたあるのではないだろか。源氏物語を知らない者に対して、源氏物語への入口はどうあるべきか。『晶子全訳』は、果たして初学の者にも読める内容となっているのだろうか。

『晶子全訳』桐壺巻を例にして

 さて、この『晶子全訳』と『源氏物語』とは一体どういう相違があるのか。また、その違いが一体どういう影響を及ぼしているのか。ここでは、「桐壺」巻を例にして考えてみることにする。

 『源氏物語』『晶子全訳』両方の冒頭文を引く。

 いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いと、やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。(『源氏物語』)

 どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮が大勢いた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。(『晶子全訳』)

 この短い冒頭の一文だけでも、見えてくることがたくさんある。まずは、女御・更衣に関する記述。『晶子全訳』の方は、読者が女御や更衣を知らないだろうという前置きで書かれている。というのも、「女御”とか”更衣”とか”いわれる後宮」という風な書き方がなされているからだ。『源氏物語』は当たり前のことだが、平安朝の時代の人々に向けて書かれている。よって、女御とか更衣がどういったものなのかを知っているのはこれまた当たり前のことである。ここで、語り手の時間的位置が違うことが問題となってくる。『源氏物語』では「今」の視点からこの物語を書いているのに対して、『晶子全訳』の方では、「未来」の視点から物語を綴っていることになっている。時間的位置が違うとどのような問題があるだろうか。すぐに挙げられるのは、物語との距離が開いてしまうということだろう。私たちにしてみれば平安朝時代の出来事は過去のことなのであるが、それにもかかわらず現在のこととして書かれていることで、物語との距離を縮めることができるのではないか。このように名詞で説明が必要な部分は注などで補足する方が適当ではないかと感じる。ただ、『晶子全訳』においては、同じ「桐壺」巻の少し後の方で、語句について違った説明の仕方をしている。

 御息所――皇子女の生母になった更衣はこう呼ばれるのである――はちょっとした病気になって、実家へさがろうとしたが帝はお許しにならなかった。(『晶子全訳』)

 この一文でも、語り手が「未来」の視点から物語を綴っている。しかし、ダッシュを使っての補足にしたことで、元々の文章の感覚を残せたのではないかと思う。この手法は、外国語文学の翻訳においてよく見られる。確かにダッシュによる補足が多いと読みにくくなってしまうが、適度に説明として入れるのは原型を留めることと現代の読者にわかりやすくすることの一つの妥協点ではないかと思う。

 さて、次に気になるのはこの一文である。

 同じほど、それより下臈の更衣たちは、まして、安からず。(『源氏物語』)

 その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬の焔を燃やさないわけもなかった。(『晶子全訳』)

 最初の一文が文字数としては然程変わらなかったのに対して、この一文は訳文の方で文字数が多くなっている。これは、古典作品の特徴である省略を補うためであるが、この省略を補うこともどこまで補えばいいのかということも問題である。特にこの文章で気になるのが最後の「安からず」である。これを晶子は「嫉妬の焔を燃やさないわけもなかった」としている。嫉妬の焔を燃やす、というのは言わずもがな比喩表現である。ここに、現代語訳の創意の側面が色濃く出ている。「安からず」というのは、普通に訳するならば「心穏やかでない」くらいに訳するのが適当であるだろう。

 しかし、晶子はその心情を「嫉妬」と読み替えている。無論、これは由なきことではなく、直前の「初めより、「我は」と、思ひ上がりたまへる御方々、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。」という一文を受けてのものである。ただ、嫉妬の「焔」としたのは明らかに創意の部分ということができる。この比喩表現は、いわゆる文学的表現というものだろう。日本語として味わい深く美しい文章である。しかし、美しいからこそ、この一文は不自然なのだ。他の箇所はほとんど直訳か補足を付け加えるだけで訳出しているところが多いので、ここに創意を加えたせいで、少し浮いてしまっている感がある。

 もちろん、それが故に晶子の訳が悪訳というわけではない。『源氏物語』との距離を保ちながら、現代の読者との橋渡しをしているのだと考えるならば、これは有効な手段だと言うことができるだろう。

創作か逐語訳か

 現代語訳の問題に関して、晶子訳を通して考えたことについて私見を述べておきたいと思う。現代語訳をするにあたって大切なこととは一体何であるだろうか。そもそも、どうして人々は『源氏物語』の現代語訳をするのであろうか。それは、多くの人に源氏物語に親しんでもらうためだろう。その意味で、現代語訳の源氏物語はなるべく平易でなければならない。故に、完璧な逐語訳というのは不自然な日本語になってしまいがちなので、これにはあまり適していないと考える。そういうものは、中級の学習者が使うべきものである。つまり、源氏物語のある程度の物語像を把握した後に、原文を味わうための橋渡しとして使われるのが好ましい使い方だろう。

 では、初学の者はどういう物を読むのが良いだろうか。私はほぼ初学の者なので、その感覚でいくと、まずは創作的な物から読むのが良いのではないかと思う。『晶子全訳』も私の感覚では自然な文章と言えないが、それでも十分に初学の者に優しい。しかし、三種類の分類のうち「リライト本」に属する物が最も読みやすいのではないかと思う。源氏物語が様々な形態で世に送り出されているということは、今に始まったことではない。柳亭種彦『偐紫田舎源氏』、近松門左衛門『今源氏六十帖』など、江戸時代にも源氏を再構成しようとする試みを見ることができる現代では、映画やコミックなどで源氏物語を再構成するものがある。特にコミックは様々なものがでているが、最も有名なのは大和和紀氏の『あさきゆめみし』だろうか。この作品にも、少女漫画風にするために冒頭で多少の改変が加えられている。しかし、源氏物語全体の雰囲気を掴むためには読みやすくて便利ではないかと感じる。今後も、創作・翻案としての源氏物語が次々に生まれていけば、何年経っても『源氏物語』は絶えることなく後世の人々に語り継がれていくことになると思うので、原典だけではなく、創作・翻案の方にも注意をすることが大切なのだ。

結び

 恥ずかしながら、私は源氏物語を読破したことがない。原典としての『源氏物語』を読破したこともなければ、『晶子全訳』も「空蝉」巻まで読んだことがあるのみである。演習によって「絵合わせ」については知識がついたが、他の巻のことはわからない部分が多い。そんな源氏初学者の私が演習に際して最も頼りになると思ったのは、やはり現代語訳であった。注釈などはもちろん大切なのだが、物語全体を掴もうとするときに、不慣れな原文で読むと、どうしても内容の理解に時間がかかってしまう。まずは全体像、というときに現代語訳はとても便利だ。しかし、現代語訳に頼りすぎてはもちろんいけない。そういう考えがきっかけとなって、本稿では現代語訳の問題について一考してみることにした。現代語訳をうまく使いながら、原文の『源氏物語』の世界にこれから少しずつでも迫ることができれば良いと考えている。





参考文献
秋山虔『源氏物語の輪』2011年 笠間書院
小嶋菜温子・他編『源氏物語と江戸文化 可視化される雅俗』「柳亭種彦『偐紫田舎源氏』と源氏絵」佐藤悟執筆「元禄歌舞伎と『源氏物語』――近松門左衛門作『今源氏六十帖』における受容」2008年 森話社
立石和弘・安藤徹編『源氏物語の時空』「『源氏物語』の現代語訳」立石和弘執筆 2005年 森話社
与謝野晶子訳『全訳源氏物語』1971年 角川書店


(このレポートは、大学二年生時に課題提出用として書いたものに若干の修正を加えたものです。)

映画「トランスアメリカ」に見るアメリカ的家族の在り方

熊本大学文学部文学科
伊藤祥太


 「トランスアメリカ」は監督ダンカン・タッカー、主演フェリシティ・シェフマンの2005年に公開されたアメリカ映画である。性同一性障害を抱えるブリーの元にニューヨークから一本の電話があったことからこの物語は始まる。彼女の息子が拘置所にいて、“父親”に会いたいと言っているらしい。ブリーは彼を迎えに行く。そうして二人の旅が始まり、お互いの秘密を知り、それを一つひとつ受け入れながら親交を深めていく物語である。

 この映画のタイトル「トランスアメリカ」は「トランスジェンダー」にかけてある。そのタイトルからもわかる通りこの映画の主題は性同一性障害なのであるが、バイセクシュアルであるトビーやその他周囲の人の存在もあり、「性とは何か」という問題全体を考えさせる内容になっている。

 さて、性の問題についてはもちろんなのだが、私はこの映画の中での家族の在り方に注目したい。アメリカを含め欧米は個人主義の文化を持ち、日本は集団を大事にする文化を持つとしばしば言われる。家族の在り方についても同じことが言える。例えば、アメリカにおいては中流階級の家庭であれば、乳幼児の頃から部屋を与えて家族それぞれ別々の部屋で過ごす。一方、日本では乳幼児、ひいては小学生くらいまでは親と一緒の部屋で寝るのが普通だ。中根千枝氏は『適応の条件』の中でイギリス式住居と日本式住居の違いについて述べている。ここでイギリス式住居とは、広く欧米の住居を指して言っている。彼女の説明によると、イギリス式住居では一人ひとりが自分だけの場(城)をもっており、家族共通の場と個室をくらべると、後者の方が重要な部分を占めている。一方、日本式住居において家族構成員が別々の部屋にいることは少なく、各部屋の仕切りが弱くて家全体が共通の場を形成している。

 このような欧米と日本の考え方の違いにプラスして、アメリカは自由の国である。周りとの関係を気にするよりも、個人の考え方を重用視する風潮はより強い。なので、私は性同一性障害や性転換にも寛容な考え方を持っているのかと考えていた。しかし、この映画を見るとどうもそんなことはないようである。ブリーの母も父もそして妹も、女性の姿をしたブリーに対して嫌悪感を露わにしている。彼女が性同一障害であることは以前から知られていたことのようであったから、彼女は長年理解を得られなかったということになる。私の思い描いていたアメリカと違うと感じた。アメリカでは家族でも個人と個人は別だという考え方があり、すぐに受け入れられるのではないかと考えていたからだ。ブリーが両親の家を久しぶりに訪問するシーンで、玄関先のブリーに対して母親は“Get in here before the neighbors see you!”と言っている。近所の人に見られたら恥ずかしいという思いがあっての発言だろう。世間体気にするこのような風潮は日本と全く変わらない。もっと堂々とマイノリティを主張できるのがアメリカ社会だと思っていたし、アメリカの家族というのはそういうこともすぐに受け入れるものだと思っていた。

 とすると、家族よりも個人を尊重する考え方は、最近出てきたものではないだろうか。私はそう考えた。『事典現代のアメリカ』の「アメリカン・ファミリー」の項ではアメリカにおける家族の在り方の変遷が説明してある。それによると、1950年代のアメリカは家族主義の時代であった。その年代における代表的ホームドラマ「パパは何でも知っている」や「うちのママは世界一」などに見られるような家族がその時代のアメリカ人の理想家族であって、「家族のために消費することが社会の安定と正当性を証明する手段であると考えられるようになった(p.874)」。

 このような家族の形態は伝統的な日本の家族の形態と大きな違いが見られないように思う。このような時代を生きてきたブリーの母親は息子が大きく変貌してしまったことを受け入れられなかったのではないだろうか。一方で、個人かが進む現代のアメリカを生きてきた妹のシドニーは、最初こそ嫌悪感を示していたものの、母親に比べればすんなりと姉になった兄の存在を受け入れたように感じる。同事典において、「個人主義国であるアメリカにおいて、家族というものは本質的に矛盾を孕んでいる。(p.873)」という指摘もある。1950年代のアメリカン・ファミリーの在り方はアメリカの土壌にそぐわないものであり、現代に至る過程の中で今のような個人主義の形態ができてきたと考えられる。

 しかし、家族というのが逃れ難いものであることもまた事実である。その点は、現代過去欧米日本という区別を超えて同じである。それは若い世代であるトビーがブリーに抱く感情を見ていくことで浮き彫りになる。ブリーにペニスがついているのを発見した後のトビーがブリーに対して性交渉を迫るシーンがある。彼は男娼をしつつも少女とキスをしているシーンもあるので、彼はバイセクシュアルだと考えられる。であるからして、彼がブリーを男と知りつつ性交渉を迫るところに特に疑問を挟む必要はないだろう。ブリーは、性交渉を断る理由として自分がトビーの父親であることを明かす。これまで信頼関係を築いていたにも関わらず、彼はすぐにブリーから離れてしまった。ラストシーンで二人はまた親交を深めることになるが、何故トビーはこれほどまでに心的距離を離したがったのか。“家族であること”、これは本当に重要ない意味を持つということの現れだ。

 「トランスアメリカ」を観て感じたアメリカの家族の在り方について考察してきた。確かに、日本とアメリカで家族の在り方に違いはある。しかし、日本との違いや年代による違いこそあれ、アメリカにおいても家族というものが個人に与える影響というのは小さいものではないと感じた。


※参考文献
中根千枝 『適応の条件』1972年 講談社
小田隆裕・他編 『事典現代のアメリカ』2004年 大修館書店
(このレポートは、大学一年生時の講義で提出課題用に書いたものに若干の修正を加えたものです)

バルザック『ゴリオ爺さん』におけるパリの街の役割

熊本大学文学部文学科
伊藤祥太


『ゴリオ爺さんは』1819年のパリを舞台に描かれたオノレ・ド・バルザックの小説である。当時ブルボン王家による王政復古の時代が続いており、上流階級社会と下流階級社会の区別がはっきりしているにもかかわらず、下流社会からのしあがることもできるという、言うなれば下克上の時代であったといえる。そのことはラスティニヤックの行動に如実に現れている。

 さて、この小説においてパリという街はどのような役割を果たしているだろうか。小説は当時の社会的状況やその地理的状況から大きく影響を与えられる。この作品のように実在の街を舞台にした作品では、特にその傾向が強い。佐野(1985)は次のように言う。

 『ゴリオ爺さん』は実在するパリの三つの界隈を舞台としている。各々の界隈はパリにおける社会地勢上の意味を有し、描写においてその差異が誇張されることにより明確な概念が背景に生ぜしめられている(p.115-116)


 ここで言われている三つの界隈とはすなわち
① ブールヴァール・サンジェルマン周辺
② ショセ=ダンタン通り
③ サント=ジュヌヴィエーヴ通り
である。

 ヴォーケル夫人の下宿の居住スペースが二階から四階にあり、それぞれ部屋の上等さと料金が違うことは、このパリの三階級を暗に示しているように思われる。二階の上等な部屋に住むクーテュール夫人とタイユフェルが上流階級。三階の中等部屋に住むポワレとヴォートランがブルジョワ。そしてわずかな部屋代で住んでいるゴリオ爺さん、ミショノー、ラスティニヤックが最下層の人物たちである。

 このヴォーケル夫人の下宿は物語の中心に据えられていて、あまり上等ではないサント=ジュンヴィエーヴ通りにある。序盤で住人たちの服装についての描写が現れるがここからも劣悪な生活環境を読み取ることができる。作中で、ヴォートランが次のように言うシーンがある。

 いかにも豪勢、ふんだんなところもあり、ラスティニヤック氏のような名士の仮のお宿たる光栄に浴してもいるが、所詮はヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りにあるため、豪奢などとはお義理にも申せず、まったくは純パトリアルカロラマ(家長制)の下におかれている。(p.510)


 このセリフはラスティニヤックの現在の状況をぴたりと言い表している。ラスティニヤックの家系は一応貴族であるものの、実情としてはかなり没落している。そこで、従姉であるボーセアン夫人に取り入って上流階級社会への仲間入りを目指すことになる。ここでラスティニヤックはヴォーケル夫人の下宿と上流社会とを比較して、あまりのギャップに嫌気が差すことも多々ある。それにもかかわらず、資金不足やその他の要因で彼はこの下宿に留まらざるを得ない。この辺りの心の動きを描くためには、パリという街は必須の存在である。彼の心情を描写したものとして、次のような部分がある。

 そして胸糞の悪くなるような例の食堂にはいった。秣草棚に向かった家畜のように、十八人もの会食者がそこでのみくらっている真っ最中なのを見た。こうしたみじめなありさまやこの部屋の光景は、いかにもあさましく感ぜられた。あまりにも急激な移り変わり、あまりにも極端なこの対照は、彼の心のなかにいやがの上にも大きな野望を、掻き立てずにはおかなかった。一方では世にも優雅な社交生活の新鮮で魅力的なすがた、技巧と贅美粋を凝らして取り囲まれた若い潑剌とした姿態、詩情に溢れた熱情的な顔立ち。ところが他方では、泥で縁取られたまがまがしい画面、浴場がその骨と筋ばかりとしか残していないような面つき。 (p.435)


 これでもかというくらいに、下宿に集まった人々への嫌悪感を露わにしている。パリは夢の街である。事実、夢を持って学生たちはこの街に集う。それはもちろん学問を究めるためにやって来るのだろが、同時にパリは汚い階級社会であるということも忘れてはならない。貧乏学生は、パリの最下層に寝床を求めるしかない。しかし、この狭い街においてはブルジョア、もしくは最上級の社会がほとんど何の仕切りもなくのぞき見できてしまう。ラスティニヤックも最初は夢を持ってこのパリの街にやって来たはずである。しかし、上流階級の世界をのぞいてしまっては、それを求めずにはいられない。「騒然たるないしは暗黙の堕落が、パリにおいてとっているさまざまの形式にと考え及ぶならば、良識の士は国家がここに学校を設け、全国の青年子弟を集めているのは、なんという甚だしい錯誤であるかを、いぶからずにはいられまい。」(p.477)という一文も作中にある。これは全世界の都市に共通していえる特徴ではないか。例えば日本においても、夢を持って東京に出てきた若者が上流社会に魅せられて堕落していく話などは掃いて捨てるほどある。

 この作品の舞台がパリの街であることは必然であったと言える。分かりやすい階級区別と、その階級間もしくは階級地区間の移動可能性がこの作品の全てと言っても良い。




参考文献
オノレ・ド・バルザック著 小西茂也訳「ゴリオ爺さん」、『世界文学全集9』(p.351-653 )1967年 新潮社
佐野栄一 「『ゴリオ爺さん』における場所の機能」『フランス語フランス文学研究』
47, (p.115-116) 1985年 日本フランス語フランス文学会

(このレポートは、大学一年生時の講義で提出課題用に書いたものに若干の修正を加えたものです)

武者小路実篤『友情』――青春文学としての価値と文学史的意義――

熊本大学社会文化科学研究科文化学専攻
高校国語教員専門職コース
森迫太士



一・はじめに

 武者小路実篤の『友情』は、大正八年十月十六日から同年の十二月十一日まで「大阪毎日新聞」に連載された小説である。この小説は実篤の代表作の一つとして挙げられる「青春小説」であり、もしかするもはや一般に言われているような若い読者に読まれ続けている小説ではなくなってしまったかもしれないが、読めばその本質はいまだ輝きを失わない傑作だと言うことができるだろう。脚本家である野島を主人公として、青春の恋や友情が爽やかに、俗物性に堕することなく(1)描き出されている。

 この『友情』という作品に対する評価は、そのほとんどが今日では「青春を爽やかに美しく描き出した小説」などと肯定的なものである。作品への論考にしろ文学史にしろ、『友情』に関して内容を批判的に分析したものは、探し得た限りではわずかしかなかった。ここには、「青春」というテーマが持つある種の侵してはならない神聖性がうかがえるが、その神聖性はまた『友情』によって、汚されることなく作品中に保たれているのだ、ということも言えるだろう。『友情』が描き出した「青春」は、どのようなものなのだろうか。また、そのような「青春」を描き出した『友情』の価値とは何なのだろうか。

 以下では、主人公の野島、その親友大宮、そして彼らの恋の対象となる杉子が、作中でどのように描かれているかを分析することで『友情』の持つ性質を明らかにし、その上でそれが文学史上、表現史上どのような価値を持ち得たのかということを考察していきたい。



二・野島の恋

 野島は、友人である仲田の妹である杉子に恋をし、その想像の中で、自分の妻としての杉子に思いを馳せて、杉子に気に入られるように心を砕く。彼はその心の中で、杉子を際限なく理想化していく。仲田の家を訪れてピンポンをした時、野島は杉子を「すなおで、親切で、利口で、快活で、不正なことを気がつかない顔をして正しくする術を心得ている」と評し、「何処にこんなに無垢な美しい清い、思いやりのある、愛らしい女がいるか。神は自分にこの女を与えようとしているのだ」と思う。しかし、そうして杉子を自分の妻になるべきだと思う一方で、「しかし考えれば考える程、彼は自分に彼女の夫となる資格があるとは思えなかった」など、自己を反省する面も見られる。

 しかしながら、野島が恋をしている杉子は、あくまで彼の中で理想化された杉子でしかないことは明白だろう。野島の視点に寄り添って物語が進んでいく上編において、野島は杉子を賛美はするが、それは杉子が自分に尽す存在であるべきだという前提の上に立っており、現実の杉子を見ているわけではない。上編を通して一貫している野島の杉子に求める条件は、

 彼は自分にたよるものを要求していた。自分を信じ、自分を賛美するものを要求していた。そして今や、杉子自身にその役をしてもらいたくなった。杉子は彼のすることを絶対に信じてくれなければならなかった。世界で野島程偉いものはないと杉子に思ってもらいたかった。彼の仕事を理解し、賛美し、彼のうちにある傲慢な血をそのままぶちあけてもたじろがず、かえって一緒によろこべる人間でなければならなかった。


 というこの点に現れていると言えよう。濱川勝彦氏も指摘しているように(2)、これは「相手を自分に引きよせる強引な恋」であり、勝手に「人間ばなれのした女性を築き上げ」る恋なのである。野島の恋にはこのような性質があるため、野島は仲田の「恋は画家で、相手は画布だ」という論に対して「僕は恋は仲田の云うように布の上に画をかくのとは違うと思う。それはあまり相手を見なさすぎる。(中略)しかしもう少しお互の精神が、何処かで働いていると思うね」と大宮に述べた時、結局は自分の言っていることが自分でわからなくなってしまう。野島の恋は仲田の言う「恋は画家で、相手は画布」を実践していることになるので、それを否定することは自分の恋を否定してしまうという矛盾を生むことになってしまうのだ。

 このような野島の自己中心的な恋は、下編においてうち打ち砕かれることになる。杉子が大宮に恋をしていること、そしてその恋に大宮が応えたことを知った野島は衝撃を受ける。そして大宮からもらったベートーベンのマスクを石に叩きつけ、失恋の淋しさから何かを生むことを決意する。

 野島は、上編では自分で仕立て上げた杉子の像に恋をし、そのような杉子を求めて葛藤する青年として、下編では大宮を慕う現実の杉子自身に幻想を打ち砕かれながらも、それを受け入れて前に進もうとする孤独な青年として、それぞれ描かれている。
この野島という主人公の視点に添って大宮も杉子も描かれている。この二人の存在は、彼の視点から見てどう描かれているのか、という点から見ていくべきだろう。



三・大宮の役割

 大宮は、野島より少し年上の、世間に認められ始めた新進作家である。彼は野島の良き理解者として描かれ、野島はいろいろな葛藤をするとまず大宮のところへ行き、意見を求める。仲田と恋についての議論になったその晩も、野島は「大宮には自分の気持が本当にわかってもらえると思」い大宮を訪れる。大宮は野島にとって「自分が何にしても少なくも大宮だけは理解してくれる」存在、すなわち野島が恋に揺れ動く自己を自分につなぎとめておくための協力者としての存在なのである。大宮は野島の恋を支援し、そのために骨を折ってくれる。野島が迷えば賛同して彼を勇気づける、頼もしい存在

 しかし、大宮は徐々に野島の恋の協力者としては別の意味を帯びてくる。鎌倉に行って野島と大宮が散歩していた時、聞こえてきた女の歌声を杉子のものだと最初に認めたのは大宮だった。また、武子がトランプをしようと野島と大宮がいる部屋に来た時、杉子は「一寸躊躇」し、「少し赤い顔しているようにも見えた」という。野島はそれを見て「杉子は和解に来たのだ」と思うが、トランプをしている杉子の様子を見ているうちに「杉子は恋をしているのだ。自分に? いやもしかしたら大宮に? もしそうだったとしたら」と思うようになる。そして「大宮を恐れる気だけはのこった」と、もはや大宮が自分の恋の協力者としてだけではなく、脅威として立ちはだかるかもしれないと野島は感じるようになる。

 結局、大宮は下編で杉子との恋愛という事実を野島に突きつける。協力者ではない別の存在として大宮は野島の前に現れる。しかしながら、大宮は下編の手紙の終わりに、自分は野島を尊敬し、このような事実を受けて打ち砕かれても偉大な人間として起き上がると信じて、あえて事実をありのままに伝えるのだと言う。野島の恋は大宮によって悲劇的結末を迎えたが、物語そのものが悲劇にならなかったのは、大宮のこうした姿勢によるところが大きいと言えるだろう。大宮があえて非情なまでに事実を提示したことで、野島もそれを受け止めて、自分の受けた傷を力にしようとすることができたのである。



四・杉子のイメージと現実

 上編の杉子が、野島によって、野島の理想に強引に引き寄せられているイメージであるということは先に述べた。野島が見ている杉子は、野島によって現実の間隙を理想によって埋められたイメージとしての性格が強い。野島は杉子の言動に対して肯定的な評価を加え、ひとたび杉子が自分に冷淡なように見えれば自分に何か非があったのではないかと考える。早川と仲良くしている杉子を見て「あんな女は豚にでもやっちまえ、僕に愛される価値のない奴だ」と思ったり、「勝手にしろ! 杉子とは絶交だ」と思ったりするが、野島にとってそれは本意ではないことで、直後に「そう思う自分の方が、いやしいのかもしれない」と考えたり、面白くないと感じたりする。杉子は理想的な女でなくてはならず、野島は理想の杉子を対象とした自分の恋を肯定しなければならないが故に、現実の杉子とはかけはなれたものを見なければならなくなり、結果として理想像と現実の間の齟齬に葛藤することになるのだ。

 そのような野島の恋の性質を、杉子は的確に見抜いている。下編の杉子の言葉の中に「野島さまは私と云うものをそっちのけにして勝手に私を人間ばなれしたものに築きあげて、そして勝手にそれを賛美していらっしゃるのです」とあることからもわかるように、現実の杉子は野島の理想像としての自分を否定し、それとは乖離したところにある一個の独立した人間として、野島の前に現れるのである。野島の恋は、自分や自分の仕事を賛美する、自分がこの世界の中で脚本家として戦っていく上での支えになる者を求めるものだった。それを否定された時、野島は深い絶望を感じるのである。



五・野島と大宮、杉子の関係の変化

 『友情』の主要な登場人物三人を詳しく見てきたが、この三人の関係の変化は野島に対する大宮、杉子の立ち位置の変化であるということができる。宮沢剛氏は野島のコミュニケーションの在り方に注目し、以下のように述べている。

 上篇では野島は他者と同化して、あるいは他者を排除してその閉ざされた主観内に安住し、そうすることで自己の確立を懸命に試みた。それはモノローグによる自己の構築であった。それが下篇の小説内小説のなかで大宮と杉子の二人の圧倒的な他者と出会うと挫折する。野島は、その他者との間に新しい関係性を模索し始めるのだが、それは、自己を志向することで構成された他者の言葉を能動的に受け取りつつ、その他者を固有の聞き手として志向することにより自己の言葉を構成してゆくという対話であった。(3)


 上編において、大宮と杉子は野島の自己の確立を妨げない存在として描かれていた。大宮は野島の協力者として存在していたし、杉子に関しても、野島の理想の中で肯定的に捉えられていたということで、彼の理想を助長する存在だった。野島一人に対して二人の協賛者がいた、と見ることができる。しかし下編においてはその関係が崩れる。それまで野島の隣にいたはずの大宮と杉子が、事実を伴った存在として彼の正面に現れるのである。宮沢氏の言うように、野島は「自己の存在の内側に安住しつづけるモノローグ的自己と、そのような自己のあり方を支えてくれる役割を担った他者を共に失う」。協賛者を失い、たった一人になってしまった野島は「神よ助け給え」と祈る。現実を突きつけられ幻想を打ち砕かれた野島は、それによって「淋しさから何かを生む」と言って、仕事において大宮と決闘する原動力を得るが、その代償は大きかった。『友情』の読後感にある、爽やかながらも苦い印象は、ここから生まれるのではないだろうか。



六・『友情』の性質と表現史的価値

 ここまで、『友情』の主要な登場人物を細かく見てきたつもりであるが、ここからは個々の登場人物の性質を踏まえた上で『友情』の全体像について言及したいと思う。端的に言えば、『友情』全体を包んでいるものは、石丸晶子氏の言葉に集約されるだろう。

 ここに描かれた青春は、恋を得た者も失った者も、共に、人生に迷い決断や選択に迷うことを知らぬ人々である。(中略)迷いを知らぬ代りに、彼らは明日を信じて今の苦しみに耐えることを知る人々なのだ。『友情』の感動はここに由来し、武者小路実篤はこの作品において、青春の美しさと感動を、もっとも爽やかに描写しきったといえよう言えよう。


 野島の恋は自己中心的なものであったが、杉子を恋するということにおいて野島は迷わなかった。大宮も野島との友情と杉子との恋愛の間で苦悩するが、その苦悩を耐えてそれを乗り越えよう、もはや杉子を親友の恋慕する女としてではなく一人の女として見ようとすることにおいて迷うことはない。そして杉子も、野島を愛せと大宮に言われても「私は死力を尽して運命と戦います」と言って大宮を愛することを憚らず、一個の独立した人間として、女として見てくれるよう大宮に言う。愛を求めて突き進むことに、三者迷いはない。『友情』に描かれた「青春」の神聖性も、この「迷わない」という点で保たれているのである。大津山国夫氏の「青春文学にもいろいろあるが、(中略)情欲や退廃などを峻拒した世界に結晶した青春文学であった」という評価(4)をはじめ、『友情』に爽やか、清冽、純粋などの評価をする人がいるのも、この「迷いのなさ」に一因があるのだと思われる。

 では、表現史を見た時、『友情』にはどのような評価を加えることができるだろうか。

 『友情』に限らず、武者小路実篤の作品や、白樺派の作品には、反自然主義の立場としての性格が見られる。自然主義文学運動によって提示された文学の役割は、「〝現実暴露″をスローガンにいっさいの幻想からの覚醒を説」くことであり、「〈無理想〉〈無解決〉の態度でありのままの現実を見つめ、人生の真実を捉える」ことだった。(5)これは、伝統的な認識と感性の制度を組みかえるという画期的な文学運動だったが、夏目漱石が「拵へものを苦にせらるゝよりも、活きて居るとしか思へぬ人間や、自然としか思へぬ脚色を拵へる方を苦心したら、どうだらう」(「田山花袋君に答ふ」明治四一)(6)と述べたように、文学における建設的な面を排除したものだったと言える。

 このような流れの中で、『友情』の持っていた価値はどのようなものだったのだろうか。

 端的に言ってしまえば、それは未来へ向かうダイナミズムを表現したことにあると思われる。もちろん、当時の評価が肯定的なものばかりだったとは言わない。渡辺清氏によれば、武者小路実篤の作品を「『お目出度い』と言つて嘲つてゐた者」や「『世間知らずめ』と嗤つてゐた者」がいたという言う。また、渡辺氏自身も、『彼が三十の時』や『或る男』等の作品を挙げて「武者小路氏は余りに正直に語らうとし過ぎるが為に事実を即き過ぎて、芸術としての或る魅惑を失つてゐる」と評している。(7)

 しかし、そういう一面があることを認めた上でも、『友情』は価値あるものだったと言うことはできるだろう。『友情』において野島が恋をする、相手を求めるということは、自分の仕事を賛美し支えてくれる人間を求めることだった。その恋の在り方は確かに自己中心的だったが、物語の序盤で「平和」や「世界」、「人類」という言葉が何度か出てくるように、彼の仕事は人類社会へ何らかの貢献をすることとつながっていたし、彼はそのための力を望み、その力を与えるのが杉子だったのだ。そして現実の前に彼の恋が打ち破られることになっても、その痛みを力にすることで、大宮と仕事の上で決闘しよう、自分の仕事を高めようとする。大宮に関しても、恋の意味するところは野島とそれほど変わらない。彼もまた仕事によって人類に尽そうとしていた。そしてその力を与えるのもまた杉子だった。杉子が大宮に恋したことにも、同じような性質があったと言える。杉子の恋が明確に書かれるのは下編の手紙の中だが、その中で杉子は「私はあなたのわきにいて、あなたを通じて世界の為に働きたい、人生の為に働きたい」と言う。読者には、彼らが相手を恋い慕い、求めることが、そのまま人類へ貢献する力を得ることという形で提示されることになるのである。すなわち、自分のより良き未来を志向することが、人類のより良き未来を志向することに極めて近いのである。

 このような自己―人類の関係は自然主義文学には見られないものだった。亀井勝一郎氏は「恋愛によってより強く生きるものがあるように、失恋によってより強く成るものもある。むしろ逆境こそ生命の光栄だという高い誇りが『友情』の示す最後の言葉だ」と述べている。(8)また、小田切進氏は「『友情』は白樺派の理想主義的な恋愛と友情を描いた代表作であるばかりでなく、たえず人間としての成長・発展を念願としている武者小路の一貫した志向を最もよく示した作品だった」と言う。(9)自然主義文学は、幻想からの覚醒を説いて現実を暴露し、それを克明に描写することにとどまった。しかし『友情』では、目の前の現実に苦脳苦悩しながらも未来へ進もうとすることを忘れない人物たちが描かれていた。人間は未来へ生きる存在である。恋することに迷いのない「青春」を表現し、自己と人類をつないで現実に立ち向かう人間の可能性を描いた『友情』は、自然主義文学やその他の文学とは別の、固有の価値を有するものであると言えるだろう。

 武者小路実篤は『友情』の自序で「失恋する者も万歳、結婚する者も万歳と云っておこう」と述べている。そのような、恋に対する様々な可能性を肯定する懐の深さも、『友情』の魅力として挙げることができるかもしれない。




※『友情』本文は、武者小路実篤『友情』(新潮社 平成十八年 百三十刷版)を引用した。





(1) 石丸晶子氏は「『友情』〈武者小路実篤〉――明日を信じる爽やかさ――」(『国文学 解釈と鑑賞』 平成六・一)で、「迷いなき男女を描いたにもかかわらず、『友情』の青春が俗物性から守られているのは、(中略)彼と大宮の人生観や生き方の基軸に、強い求道性と理想主義が脈打っているからである。」と述べている。

(2) 濱川勝彦「『友情』・武者小路実篤――地としての友情、図としての愛――」(『国文學 解釈と教材の研究』 平成三・一)

(3) 宮沢剛「『友情』」(『国文学 解釈と鑑賞』 平成十一・二)

(4) 大津山国夫『武者小路実篤研究―実篤と新しき村―』 明治書院 平成九年

(5) 畑有三・山田有策編『日本文芸史――表現の流れ 第五巻・近代Ⅰ』 河出書房新社 一九九〇年

(6) 久保田淳編『日本文学史』(教文堂 一九九七年)より抜粋した。

(7) 渡辺清「武者小路実篤研究」(日本文学研究資料刊行会編『日本文学研究資料叢書 白樺派文学』 有精堂出版 昭和四九年)

(8) 亀井勝一郎「解説」(武者小路実篤『友情』 新潮社 平成十八年 百三十刷版)

(9) 小田切進「武者小路実篤の文学 『お目出たき人』と『友情』『愛と死』」(武者小路実篤『友情』 新潮社 平成十八年 百三十刷版)
※このレポートは学部生であった二〇一一年三月に、授業の期末レポートとして提出したものです。