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『火垂るの墓』における「食」の果たす役割

比較文学専攻
マジマ


・はじめに
 スタジオジブリの手掛けるアニメーション作品において、「食」という存在は非常に重要であると思われる。事実、多くのジブリ作品において、「食」が登場するシーンは印象的に描かれている。今回私は、そのようなスタジオジブリ作品の中でもとくに「食」の印象が強く残ると思われる『火垂るの墓』という作品を「食」という観点から新たに見つめ直すことにより、その役割、さらには作品中におけるその必然性を浮き彫りにしたいと思う。


・作品紹介
 『火垂るの墓』は、野坂昭如の書いた小説を原案とするアニメーション作品である。新潮社のスポンサーで1988年(昭和63年)4月16日から東宝系で公開された。制作はスタジオジブリ。監督・脚本は高畑勲。戦災孤児の姿を描く。


・「食」の具体例
1. 親戚の叔母より与えられる料理
 物語序盤にて、主人公・清太とその妹・節子は母を失い、親戚の叔母宅で預かってもらうことになる。最初は当たり前のように食事を提供してもらい、すいとんを食べさせてもらうのだが、清太の非生産的態度に業を煮やした叔母は、次第に清太に対して辛く当たるようになる。食料は常に不足しているため、叔母は清太の母が持っていた上等の着物を、当時貴重であった白米と換えてもらうよう示唆し、清太たちはその通りにする。しかしその白米は叔母たちに食いつぶされてゆく。清太たちが持ってきた梅干しもいつの間にか叔母さんたちに食いつぶされている。以上のことをきっかけとして清太たちは自炊を始めることになる。

2. 親戚の叔母さん宅での自炊
 手始めに七輪を購入する。自炊を約束したおかげで、残った白米は全て自分たちのものとなる。その他配給のお米も注ぎ足し、お粥をつくって生活。叔母宅に来たばかりのころに梅干しと共に掘り出された保存食であるドロップが、ここにきて尽きる。最後は缶に水を注ぎ、残りかすを溶かして節子にジュースとして与える。叔母とのそりがあまりに合わないため、清太たちは家出することにする。

3. 野宿での正当な自炊
 近所に見つけた横穴を自分たちの家として、そこで生活することを決める。当初、二人で協力して薪を集め、清太が火を起こす傍らで節子が野菜類を切り、雑炊を作る。その他にもカエルの天日干しを作るなど、工夫を凝らして食事をつくる。

4. 野宿での違法な自炊
 農家においても食料が不足し、野菜を売ってくれるところがなくなったため、清太は盗みを働くようになる。近所の畑で勝手にトマトを盗りその場で食したり、まだ育ちきっていない小さな芋まで盗んだりといった具合で、そのうち農家の人に気付かれ、警察に通報される。しかし節子が栄養失調に陥っていたため、やめるわけにもいかず、そのままの生活を続ける。空襲で人々が防空壕に避難している間に、他人の家に上がり込み、居間に置いてあった白米を食べることもあった。物語終盤、死にかけの節子は、清太に食べたいものを聞かれたとき、天麩羅やお造りといった羅列の中にドロップを挙げる。貯金を下ろしたお金で清太はかしわや卵など滋養のあるものを買い与えるが、衰弱しきっていた節子はそれを食することなく、死んでしまう。


・「食」の役割考察
 『火垂るの墓』においては、上記のように食事シーンのみを抜き出しても話の大筋がわかるほど食事シーンが多く、「食」を主軸に据えて物語が展開していると言っても過言ではない。主人公を取り巻く「食」の変遷がそのまま物語の基盤となっているのである。

 『火垂るの墓』における「食」には、この、「物語の支柱」としての役割があり、それは、観る者に切実さ、リアリティを与える効果を含有していると考える。戦時下の様々な状況は今を生きる我々にとってあまり馴染みのないものであり、どうしても想像の難しい部分がある。しかし、すいとんよりも白米のご飯を欲する気持ちや、空腹でも何も食べることのできない辛さなどは容易に想像することができる。このように、「食」という普遍的な要素を作品に多く加えることにより、我々は主人公たちの苦しみや感情をより近くに感じることができるのである。このように、作品を鑑賞する人間にとってあまり馴染みのないテーマでも、ある程度そこに感情を移入させることができる。これがこの『火垂るの墓』という作品における「食」の果たす大きな役割なのではないだろうか。


・「ドロップ」の役割
「食」の役割としてもう一つ、作品中において最も重要な位置を占める「食」である、「ドロップ」の役割について考察してみたいと思う。

 作品中においてドロップと最も密接に関係する人物は、節子である。節子にとってドロップはどのような存在であろうか。作品中、ドロップは非常に印象的に描かれている。まずドロップは家の庭から掘り出され、兄の清太によって節子に与えられる。そしてドロップを与えられた節子が喜んで「ドロップドロップ」と飛び跳ねたり、上記の通り、食べるものがないときに何が食べたいかを節子に尋ねたときには「ドロップ」と答えたりする、など、ドロップと節子の関わりは作品全体を通して多く描写される。

 このドロップは母が残してくれた最後の甘味であり、兄が(叔母には渡さずに)自分に与えてくれたものである。このことから私はこのドロップは節子に与えられた愛情の象徴であると考えられる。日に日に態度が冷たくなっていく叔母や、いつ起こるか分からない空襲など、節子にとって過酷な生活のなかで、ドロップは節子の心の慰め、唯一の楽しみであったのであろう。
作品中盤、ドロップがなくなって、缶に残った砂糖を水に溶かして飲んでしまったことによって、節子の命が尽きることが暗示されているように思われる。また、「ドロップ食べたい」と言うことは、ドロップを食べることができれば、再び元気を取り戻すことができるという節子の願望ではなかっただろうか。

 つまり、ドロップの役割とは、節子の心情、あるいは節子というキャラクターそのものを描いたものであると言えるのではないだろうか。ドロップの役割を考えることによって、同時に節子の心情をも考えることにもなるのである。


・「食」を扱うことの必然性
 ところで、清太と節子は栄養失調により亡くなっている。戦争の時代を描いた物語において、これはどのような意味を持つのであろうか。

 清太と節子の母親は、戦火による大やけどを負ったことが原因で亡くなっている。栄養失調で亡くなるのとは対照的である。単に戦争の悲惨さを表すためならば、戦火によって亡くなるのが常套であるのに、栄養失調によって死なせたのはなぜだろうか。

 私はこの作品が世に出された時代にその一因があると考える。ジブリ版アニメーション映画『火垂るの墓』が公開されたのは1988年である。この時期はちょうどバブル経済の真っただ中にあたる。当時の人々の食生活が飽食の傾向を帯びていたことは想像に難くない。

 食べることが難しかった戦時中の兄妹を描くことによって、「食」というものがいかにありがたいものであるのかを高畑氏は伝えようとしたのかもしれない。作品中、兄妹が栄養失調で亡くなることによって「食」の大切さはより際立つ。それによって、「食」が大切なものであるというメッセージをより強烈に伝えることができるのである。





・参考資料
『火垂るの墓 完全保存版』スタジオジブリ制作 高畑勲監督 2008年
『アメリカひじき・火垂るの墓』野坂昭如著 新潮社 1968年
 
・参考WEB資料
日経Bizアカデミー 「第9回 なぜバブルは生まれ、そしてはじけたのか?」http://bizacademy.nikkei.co.jp/seminar/marketing/b-keizai/article.aspx?id=MMACzm000020062012&page=1
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『阿Q正伝』にみる魯迅の魅力

比較文学専攻
マジマ


 「中国文学史Ⅱ」の授業において私が最も興味を惹かれた文学者は、魯迅である。授業の序盤で取り上げられたから強く印象に残った、という理由も多少はあるが、私はなにより『狂人日記』という作品のインパクトに強く惹かれてしまったのである。正直なところ、私は中国文学を軽視していた部分があった。しかし、『狂人日記』に描かれた世界観、そしてその確かな文学的魅力は、私が未だかつて触れてきたことのないものであった。魯迅の作品との出会いによって、私の中国文学に対する姿勢が変貌したといっても過言ではない。そのような動機から今回私は、『狂人日記』と並ぶ魯迅のもう一つの代表作『阿Q正伝』を読み、その中に描かれる魯迅の文学的魅力を確認していこうと考えているのである。

 さて、まずはじめに、と『阿Q正伝』のあらすじをこの場でつらつらと書き連ねるのは、いささか無粋な行いであろう。今回そこは割愛して、さっそく本旨に入らせて頂く。私が『阿Q正伝』を読了して印象に残ったことは、やはり何といっても「阿Q」という人物像の面白さである。阿Qという男は、金も無ければ力も無い。頭も悪くてやることなすこと失敗ばかりの上にその失敗から何も学ばない。それどころか自分の頭の中で、あの手この手で屁理屈をこねて自分を納得させ、「これは失敗ではなくむしろ成功だ」などと思い込んでしまう。そのくせ自尊心だけは妙に高く、自分が侮蔑されると知るやいなや烈火のごとく怒り狂い、そのことでまた失敗を重ねてしまうのである。そのようなどうしようもない人間として阿Qは描かれているのであるが、そこに嫌悪感はない。むしろ、私は一種の可愛らしさ、のようなものを彼に見出した。恐らく魯迅自身も愛情をもってこの阿Qという人物も描いているのだろう、そのように感じることができたのである。ここが、阿Qという人物像の面白いところであると私は感じた。キャラクター性という意味では最底辺であろう人物に、親しみを感じる。そんなものを描き出せる魯迅の文学者としての能力の高さに、私は改めて感心した。

 阿Qという人物は清朝末期、辛亥革命前後の中国人の精神や考え方を風刺して描かれたキャラクターであるという。中国人からしてみればこの阿Qという存在は痛烈なものとして映ったはずであるが、この作品はご存じの通り熱烈な歓迎を受けた。おそらくその理由は、やはり私同様にこの作品を読んだ中国人も、魯迅の阿Qに対する愛情を感じ取ったからではないだろうか。では、なぜ我々は阿Qに「愛情」を感じることができるのであろうか。それは魯迅が阿Qと同じ目線に立って彼を描写しているからではないか、と私は考える。彼がこの『阿Q正伝』によって描いているものは、阿Qというどうしようもない人物を用いた啓蒙ではないし、大衆への警告でもない。「私も同じ感覚、考え方を一部で有している」、というどちらかと言えば自虐に近いものが、そこに描かれている。だからこそ、『阿Q正伝』を読んだ人々、主に中国人は、作者が自己投影された、とでも言うような「阿Q」という人物に慈愛じみたものを抱き、そしてこの作品を単なる風刺ではない、我々に愛情を注いで描かれた名作であると感ずることができるのではないだろうか。もちろん、中国人でない我々もそれを感ずることができる。この『阿Q正伝』という作品には「阿Qという他人への批判」や、「嫌悪」などというものは一切登場しない。むしろ「阿Qという息子を見守る親の慈愛」のようなものをそこに見出すことができるのである。

 さて、阿Q自身への魅力も書ききれぬほどあるのであるが、私が感じた『阿Q正伝』の魅力はもちろんそれだけではない。私が『阿Q正伝』に感じたもう一つの魅力は、クライマックスの緊迫感である。描写が細かく、とかそのような矮小な話ではなく、書き出しと後半とでは作者の文体が明らかに変容しているのである。クライマックスの描写はまさに自分自身が阿Qになったかのような緊張感に溢れており、読む者を引きずり込む。「人として生まれた以上、○○されることだって、ないわけではない」という表現が繰り返し用いられるのであるが、私はとくにこの部分が気に入っている。自分に言い訳をして自尊を保とうとする阿Qのキャラクターを崩さないようにしながらも、同じ表現を繰り返すことで内面的な焦りを表現する。素晴らしい表現技法であると、私は考える。

 この文体の変容については、以下のような説明がなされている。「この作品は魯迅にしては珍しい中編の小説で、『晨報』という新聞へ、一週間に一章ずつ連載がなされていたものである。そのため執筆が長期におよぶことになり、後半の方で文体が変容した」(岩波文庫版解説・編集注) と。しかし、私はそのようには考えない。おそらく魯迅は書いている最中「阿Q」という人物に没頭してしまったのではないだろうか。あまりにも阿Qに入り込むあまり、クライマックスの処刑の場面で、気持ちが筆に現れ過ぎてしまった、そう考える方が自然ではないだろうか。私はそう考える。

 結論として、私が『阿Q正伝』に感じ取った魅力は大別して二つ。一つは「阿Q」の斬新かつ愛情にあふれた、愛すべきキャラクター性。そしてもう一つは後半における文体の変化によって表現される緊迫感である。どちらを取っても、私の中には魯迅に比類するような存在はない。私が『狂人日記』で感じ取った彼の文学的魅力はこの『阿Q正伝』にも存分に溢れているのである。




書誌事項
 『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇』 魯迅 著 竹内好 訳 岩波文庫 1955年第一版出版

アイドルソングにおける一人称の変遷 ―「わたし」から「ぼく」へ―

比較文学専攻
マジマ


・はじめに
 
 授業で紹介された映像、とくに昭和のアイドルソングの映像を見ていて、ふと疑問に思ったことがある。「いまのアイドルソングと、随分印象が違うように感じるのはなぜだろう」ということである。その原因は、もちろん音の質によるところも大きいだろうが、歌詞の、とくに一人称にあるのではないかと、私は考えた。どうも、昔のアイドルソングと比べて、いまのアイドルソングには、「ぼく」という一人称が多いように感じるのである。そこで、私は今回、当レポートにおいて、本当にアイドルソングの一人称は変遷しているのか、そして本当に変わっているのならば、その原因はどこにあるのか、を考察してみたいと思う。


・昭和アイドルソングおよび平成アイドルソングにおける一人称の実態
 
 それではまず、昭和アイドルソングおよび平成アイドルソングの一人称は、実際にはどのようになっているのか、調査した結果を掲載しようと思う。調査方法は、昭和アイドルについては70-80年代、平成アイドルについては2000年代以降から、私の独断でアイドル歌手を10組、それぞれにつきヒット曲上位3曲の計30曲を抜出し、その曲の歌詞を調査する、という方法を採った。なお、ヒット曲上位3曲の選抜については、http://www.uta-net.com/の「人気順」によるソート機能を利用し、上から3曲を選抜した(ただし、歌詞中に一人称が含まれていないもの、発表した年代が大きく異なるものは除外した)。また、調査に使用した楽曲は、「参考楽曲」の項に記載する。
さて、以下がその結果である・


昭和 一人称「わたし」27/30
昭和 一人称「ぼく」3/30
平成 一人称「わたし」15/30
平成 一人称「ぼく」15/30






 以上のように、昭和のアイドルソングにおいて、「ぼく」の使用頻度が圧倒的に少ないのに対し、平成においては、その使用頻度は「わたし」とほぼ同じ、という結果になった。この前提を用いて、考察を進めていきたいと思う。


・「時代」とともに変わりゆく一人称

 調査の結果、私の予想通り、時代を経るにつれてアイドルソングの一人称に大きな変化がみられることが分かった。それでは、なぜこのような変化が生じているのだろうか。

 やはり一番大きく関係してくるのは時代の違いであろう。昭和アイドルソングに少ないながらも登場する「ぼく」は、いずれも「男性目線」の歌詞においてである(『木綿のハンカチーフ』、『セーラー服と機関銃』、『青春のいじわる』)。今でこそ、女性が男性目線の歌詞を歌うことは珍しくもなんともないことであるが、昭和という時代において、そこには大きな抵抗があったのではないだろうか。

 加えて、時代によって移り変わったものをもう一つ挙げるとするならば、「アニメソング」を歌うアイドルという立ち位置である。今回調査に用いたアイドルでは、中川翔子、水樹奈々、ももいろクローバーZなどがこれにあたるのであるが、彼女らの楽曲の歌詞に「ぼく」が出現する頻度は、他のアイドルソングと比べても圧倒的に高い。これは彼女らの楽曲が「アニメソング」を(一部例外はあるが)主としているところに大きく起因していると考えてよいだろう。アニメソングの歌詞に出現する「ぼく」は、つまり「歌っている本人とは異なる世界観の主観」である「ぼく」である。前述した、「男性目線」としての「ぼく」と多少似通った理屈ではあるが、「アイドルがアニメソングを歌う」という事象は、昭和アイドルにはほとんど見られなかったことであるので、このこともまた、「時代によって変わった」アイドルソングの別側面として捉えてもよいだろう。


・アイドルソングにおける「ぼく」の果たす役割

 さて、前述した考察はいずれも、「ぼく」という一人称は「男性目線(または、アイドル本人とは異なる人間の目線)」の歌詞における表現である、という内容であった。しかし、昨今のアイドルソングにおいては、その例に当てはまらない楽曲が多く存在する。

 「ギンガムチェック」などに代表される「女性目線」の「ぼく」である。これらの楽曲に登場する「ぼく」は男性の一人称として「ぼく」ではなく、女性が自分自身を名指す「ぼく」である。これは昭和アイドルソングには全く見られない例であり、平成アイドルソングの大きな特徴である。どうして、平成においてはこのような楽曲が登場することになったのであろうか。

 その謎を解き明かすために、まず、歌詞において「わたし」と「ぼく」によって、そのニュアンスにどのような違いが出るのかを考えてみようと思う。昭和のアイドルソングに多く見られる「わたし」と「あなた」には、「大人の女性」の、「既に成立した恋愛」というニュアンスが濃く顕れる。一方、平成においてよく用いられる「ぼく」と「きみ」では、その主人公は「大人の女性」というより「少女」の、「まだ成立していない恋愛」というニュアンスが強い。いわゆる「友達以上恋人未満」という状態である。また、「ぼく」という一人称を使用することで、その曲を恋愛のみならず、「同性同士の友情」の曲としても捉えることが可能になる。以上のようなニュアンスの違いが、「わたし」と「ぼく」にはあるのである。


・まとめ―「アイドル」の立ち位置の変化―

 「わたし」と「ぼく」の違いを提示したところで、いよいよ核心に迫ってみようと思う。時代が進むにつれ、どうして「ぼく」という一人称が多用されるようになったのか。

 考えられる理由として「アイドル」の立ち位置の変化があるように、私は思う。昭和においてアイドルとは「手の届かない存在」であった。一般人とは別の世界の住人、というような認識を持たれていたことが容易に想像できる。しかし、AKB48に代表される昨今のアイドルは、握手会を催したり、そもそも「会いに行けるアイドル」というコンセプトであったりと、昭和のそれと比べると非常に身近な存在となっている。そのような「アイドルとの距離感」の変化によって、アイドルソングも、「どこかの女性の恋愛」ではなく、「身近な恋愛」を歌うようになり、それに伴って、「わたし」より親近感を覚える「ぼく」という一人称が多用されるようになったのではないだろうか。






・参考楽曲

昭和アイドル
太田裕美 『木綿のハンカチーフ』、『赤いハイヒール』、『九月の雨』
山口百恵 『さよならの向こう側』、『プレイバックpart.2』、『いい日旅立ち』
キャンディーズ 『わな』、『やさしい悪魔』、『微笑み返し』
ピンクレディー 『UFO』、『渚のシンドバッド』、『サウスポー』
岩崎宏美 『聖母たちのララバイ』、『家路』、『シンデレラ・ハネムーン』
松田聖子 『青い珊瑚礁』、『PEARL-WHITE EVE』、『瞳はダイアモンド』
中森明菜 『少女A』、『ミ・アモーレ』、『難破船』
薬師丸ひろ子 『セーラー服と機関銃』、『メイン・テーマ』、『探偵物語』
菊池桃子 『卒業-GRADUATION』、-『青春のいじわる』、『もう逢えないかもしれない』
おニャン子クラブ 『じゃあね』、『星座占いで瞳を閉じて』、『かたつむりサンバ』

平成アイドル
モーニング娘。 『ブレインストーミング』、『One・Two・Three』、『LOVEマシーン』
AKB48 『恋するフォーチュンクッキー』、『ギンガムチェック』、『フライングゲット』
ももいろクローバーZ 『猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」』、『Neo STARGATE』、『オレンジノート』
中川翔子 『空色デイズ』、『さかさま世界』、『涙の種、笑顔の花』
アイドリング!!! 『サマーライオン』、『やらかいはぁと』、『プリきゅんサバイバル』
ZONE 『secret base~君がくれたもの~』、『白い花』、『僕の手紙』

東京女子流 『Partition Love』、『Limited addiction』、『Get The Star』
水樹奈々 『笑顔の行方』、『Vitalization』、『Synchrogazer』
松浦亜弥 『LOVE涙色』、『100回のKISS』、『想いあふれて』
Perfume 『Magic of Love』、『未来のミュージアム』、『575』


・参考URL

歌詞検索サービス歌ネットhttp://www.uta-net.com/
Wikipedia「アイドル」(昭和および平成アイドル選出の参考として) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AB

谷崎潤一郎「母を恋うる記」 「私」のアニマ像としての母

茨城大学 日本近代文学専攻
十寸見 惇


○谷崎潤一郎「母を恋うる記」……初出は「東京日日新聞」一九一九(大正八)年一月十九日~二月二十二日紙(うち十八回の休載を挿み、「大阪毎日新聞」にも併行して連載)。のち、『小さな王国』(天佑社、一九一九年六月)に収録。

(作品梗概)
 月が深い雲の奥に呑まれつつも、どこからか洩れて来る光で外が白々と明るくなっている、闇夜とも月夜とも考えられるような晩に、両側に松並木が眼のとどく限り続いている田舎の街道を、七つか八つの「私」は歩いていた。「私」は歩きながら、自家の没落を悲しみ、華やかであった東京・日本橋での暮らしを儚む。

 浪の音や松風の音、松原の右にある真暗な海のような平面のところどころに見える、青白いひらひらしたものがカサカサと鳴る音に耳を傾けたり、しょざいなさに電信柱の数を数えたりして歩くうちに、「私」は明るいアーク燈に出逢った。その光を頼りに例のカサカサと云う皺嗄れた音の方に目を向けると、その真暗な平面はたくさんの蓮が植わっている一面の古沼であり、沼の向こうに、沖の漁り火のような一点の人家の灯が見えた。

 「私」はその人家が事によると自分の家で、中では年を取った両親が待っているのではないかと考え、勝手口の縄暖簾を透かして中を見ると、手拭いを被った田舎のお媼さんが夕餉の支度をしていた。しかしそのお媼さんは、自分は「私」の母親ではないと云い、さらに空腹の「私」が喰べるものを要求しても冷たい反応をする。仕方なく外に出た「私」が、銀のように冷たい明るさの月が光る海の浜辺を歩いていると、日本橋にいた時分に聞き覚えのある三味線の音が耳に這入ってきた。それは「私」を抱いた乳母が、新内語りの三味線を「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」と聞こえる、と云っていたその音であった。

 音の方へ長い間歩いていくと、一二町先に、編笠を被った、襟足と手頸の白さだけが際立つうら若い女の姿を認めた。「私」はその女を狐が化けているのではないかと疑い、近づいてまじまじと確かめてみると、その三味線を弾いている女は、まぎれもなく美しい女の人の顔をしている。ふと立ち止まって月を仰いだ女の頬にきらりと輝き転がり落ちる涙を見て、何が悲しくて泣いているのかと訊ねる「私」に、女は悲しいのは月のせいだ、お前も一緒に泣いておくれ、と返す。共に涙を流しながら、女のことを何と呼べばいいのかと「私」が云うと、女は「私はお前のお母様じゃないか」と云って、「私」をしっかりと抱きしめた。………

 ふと目を覚ました、今年で三十四歳になる「私」は、一昨年の夏に母を亡くしている。母との邂逅は夢であったのだ。しかし「私」の耳の底には、「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」という三味線の音が、あの世からのおとずれのように響いていた。


参考一.野口武彦、大久保典夫、笠原伸夫、出口裕弘、野村尚吾『シンポジウム日本文学16 谷崎潤一郎』(学生社、一九七六年)より「第一章 谷崎潤一郎――その文学的出発」

 笠原 ただ、谷崎の場合に、母親の面影が女性像の背後に重ね合わせて出てくるわけですが、母親が死ぬのは、確か谷崎が三十二かそこらのときですね。『母を恋ふる記』というのは、その数年後に書かれるわけです。谷崎の母親はたいへん苦しんで死んだらしいですが、そういうことは作品の上ではまったく回避しています。写真を見ると、谷崎のお母さんはたしかに美女ですね。しかし、母を恋うるというのは、彼の想像空間の中で一つ屈折して、彼の幼児体験へずっと絞られたかたちでしか、母親像が出てきにくいような感じがするんですが。全部そうだというふうには思いませんけれども。

 そうすると、谷崎の感受性の特質のような谷崎における母というものも、かなり屈折した回路で出されてきているような感じがするわけです。


➀先行論について……今回の発表に当たって、前田久徳氏の「谷崎文学の〈母〉:「幼年時代」・「母を恋ふる記」・「鬼の面」」(金沢大学語学・文学研究 26号 59‐73 1997‐07)を紹介する。前田氏は、この論の「二 母性回帰の夢―「母を恋ふる記」」の項において、「母を恋うる記」が小説として夢の構造を取っている意味について、次のように分析している。

 この一篇は、紛れもなく谷崎が魂の深層で求めていたものを形象化した、その意味で自己確認の作品であったわけだが、それを夢の形で語ったことは、単に〈一昨年の夏以来此の世の人ではなくなつてゐる〉母への回帰の不可能性や、母の許へ辿り着く〈私〉の魂の道程として描くために採用した幻想的な展開に論理的整合性を与えるための小説作法上の問題という表面的な理由だけでなく、もう少し別の意味合いも含まれている。自らの全き至福のありようを、文字通り夢の領域へ封じ籠めたということは、それは実現不可能な正に〈夢〉でしかあり得ないことを語っているからである。作家にそう認識させる背後には、この〈夢〉には、母子相姦の夢が潜んでいたからである。

 この前田氏の論に限らず、これまでの「母を恋うる記」の先行論には、谷崎の母子相姦願望について指摘したものが多く見られる。例えば、野口武彦氏は『谷崎潤一郎論』(中央公論社、一九七三年)において、「谷崎の創作活動の道程は、ゆっくりと長い時間をかけて母親との失われた性的結合を取り戻してゆく過程であったといえるのではないか」と述べており、千葉俊二氏も、「母があくまで官能的な肉体性をそなえたうら若い美女として「私」の夢に現出したところに、「私」が彼女を性愛の対象として認めていたということが微妙に暗示される」(『鑑賞 日本現代文学 8 谷崎潤一郎』、角川書店、一九八二年)と指摘している。

 しかし、これらは作者谷崎の実体験(彼は「母を恋うる記」を書く二年前、一九一七年に実母関を亡くしている。)を下敷きにして論じられたものであり、さらに言えば、その実体験に些か寄り掛かりすぎた解釈であると私には思われる。では、谷崎自身の体験を度外視してこの作品を再度読んでみると、どのようなことが見えてくるだろうか。「母を恋うる記」が夢を描いた小説である点に注目して読み解いていく。

➁発表者の見解
 アニマ像の発展の母胎となるものは母親像である。

 夢、というキーワードに関連して、ユング派の心理療法家である河合隼雄氏が、夢の具体例の分析を基に無意識の深層を解明した著書、『無意識の構造』(中公新書、一九七七年)中の一文を上に引用した。

 スイスの心理学者ユングは、夢の中に現れる異性像の元型について、男性の心の中の女性像をアニマ、女性の心の中の男性像をアニムス、と名付けた。男性は社会で生きていく上で、周りが期待する強くたくましい「男らしさ」という属性を持ったペルソナ(仮面)を身につけなければならず、そのことで彼の女性的な面が抑圧され、無意識界に沈み込む。それは時にアニマ像として人格化され、夢に出現してくる、というのがユングの主張であると河合氏は解説している。

 「母を恋うる記」のテクストに、次のような描写がある。

 松と影とは根元のところで一つになっているが、松は消えても影は到底消えそうもないほど、影の方がハッキリしている。影が主で、松は従であるかのように感ぜられる。その関係は私自身の影においても同じであった。(P76, L7~L9)

 本来、物体にくっついているだけで物体よりおぼろげである筈の〝影〟は、この場面でその関係が逆転し、〝影〟が主、「私」が従、という構図へと変わる。
さらに、P82には、

 私がゆっくりと歩いて行くにもかかわらず、女の後姿は次第次第に近づいて来る。(中略)私が一尺も歩く間に影はぐいぐいと二尺も伸びる。影の頭と女の踵とは見る見るうちに擦れ擦れになる。

 とあるが、これはまさに、〝影〟が従である「私」の意思を置き去りにして行動する様であると読み取れないだろうか。

 先に引用した、〈アニマ像の発展の母胎となるものは母親像である。〉という河合氏の言葉を思い出してほしい。「母を恋うる記」は、夢の物語である。ならば、夢の中に現れる異性像アニマを、「私」が夢で出逢った母に見ることもできる筈だ。

 母を「私」のアニマ像として認識すると、この〝影〟の行動はまた違った様相を帯びてくる。アニマ像をユングの文脈に従って解釈すると、「私」のアニマである母は「私」の女性的側面、ということになる。つまり、母の背を伝わっていく〝影〟の動きは、「私」自身のアニマ像(母)を夢の中で取り込み、それまで抑圧され、無意識界に沈んでいた「私」の女性性(その女性性は、母親像と深く結びついているものだが)を補完しようとする試みであるのではないだろうか。

 あらゆる関係性が反転していく夢の世界で、「私」に代わって主導権を得た〝影〟が母という「私」のアニマ像を摑む。河合氏によれば、夢の中のアニマ像は必ずしも実際の母親の姿を取るわけではない、ということだが、告白されるまで「私」が新内流しの女を母だと気付かなかったことや、〈母がこんなに若く美しいはずはないのだが〉という「私」の言葉などからも、夢に現出した母が実際の母の容姿と同じであったとは考え難い。しかし、「私」の意思から離れ、新内流しの女の姿を捕らえた〝影〟の行動は、アニマ像の裏側にある母親像を逃さなかった、という点で、非常に暗示的なものであったと言えるだろう。






*このレポートは二〇一四年前期の演習の講義で発表原稿として用いたものである。使用テクストは、『ちくま日本文学014 谷崎潤一郎』(筑摩書房、二〇〇八年)中の「母を恋うる記」(P55~P94)。

漱石「倫敦塔」のリズムと文体

熊本大学文学部文学科
伊藤祥太


 夏目漱石の『倫敦塔』は漱石自身の二年のイギリス経験をもとにして書かれたものだ。作中で漱石も述べているように、これは単純な紀行文ではなく、半分は漱石の想像で書かれたものである。

 小説とは文字の芸術である。小説を通して伝えたいこと、あるいは小説の主題などというものはもちろん重要なのだが、芸術である以上そこに美しさが求められる。美しさとは、つまり文体によって表出するものである。同じ内容を伝えようと思っても、言葉の使い方は無限にあるといって良い。そんな中で、漱石は文章にリズムをつけている部分を多く見ることができる。リズムをつけることによって、漱石は小説を芸術として成立させたように思う。今回は、この『倫敦塔』におけるリズムについて探ってみる。漱石はどのような方法を用いて、文章にリズムをつけていったのであろうか。

 なお、本稿における抜粋文は 1994年岩波書店発行の「漱石全集 第二巻」『倫敦塔』に拠る。まず気になる箇所を抜粋し、それに私がコメントをつけていく形式とする。
 行つたのは着後間もないうちの事である。其頃は方角もよく分からんし、地理抔は固より知らん。(p.3)
 「らん」の繰り返しが用いられており、それがリズムを生み出しているといえる。このように繰り返しによってリズムを生み出している文章は、作中に多くみられる。この箇所が、この作品の中で最初にリズムを作り出しているところである。また、分からない・知らないではなく、分からん・知らんとしたところもこの箇所の特徴であるだろう。こちらの方が、より軽やかなイメージを文章に与えることができる。
 過去と云ふ怪しき物を蔽へる戸張が自づと裂けて龕中の幽光を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。凡てを葬る時の流れが逆しまに戻って古代の一片が現代に漂ひ来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。(p.4)
 この箇所も繰り返しの表現が使われている。終わりが全て「倫敦塔である。」で揃えてあるから感じられるリズム。そして、三文目はそれ単体でリズムをつくりだしている。これは、「人の血、人の肉、人の罪」と人の持つものを三つ列挙したのに対して「馬、車、汽車」とさらに三つ列挙したことによって生まれたものである。何度も倫敦塔という言葉が繰り返されるために、私たちの脳内にこの倫敦塔のイメージが強く焼きつくことになる。
 空濠にかけてある石橋を渡って行くと向ふに一つの塔がある。星は丸形の石造で石油タンクの状をなして恰も巨人の門柱の如く左右に屹立して居る。其中間を連ねて居る建物の下を潜って向へ抜ける。中塔とは此事である。少し行くと左手に鐘塔が峙つ。真鉄の盾、黒鉄の甲が野を蔽ふ秋の陽炎の如く見えて敵遠くより寄すると知れば塔上の鐘を鳴らす。星黒き夜、壁上を歩む哨兵の隙を見て、逃れ出づる囚人の、逆しまに落す松明の影より闇に消ゆるときも塔上の鐘を鳴らす。心傲れる市民の、君の政非なりとて蟻の如く塔下に押し寄せて犇めき騒ぐときも亦塔上の鐘を鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らす。ある時は無二に鳴らし、ある時は無三に鳴らす。祖来る時は祖を殺しても鳴らし、仏来る時は仏を殺しても鳴らした。(p.6~p.7)
 文章のリズムを考えるにあたって、この文には様々な要素が含まれている。まずは、鐘が鳴る箇所の描写である。「鳴らす」あるいは「鳴らし」という単語がここでは八回も登場している。くどいほどの繰り返しであるが、これが良いリズム感を出しているそして重要なのが、最後が「鳴らす」で終わらずに「鳴らした」で終わっているということだ。講義の中でも、ル形とタ形の話は講義中で何度も出てきた。ル形が現在形でタ形が過去形という区別ではなく、ル形は前景的表現、タ形は光景的表現ということだった。ところが、ここでは鐘が鳴るということが一貫して前景的表現として描かれていると考えられ、最後の「鳴らした」という部分だけが後景的表現と考えることはできない。では何故ここ最後だけタ形を使ったのかといえば、リズムを壊すためではなかったろうか。「鳴らす」の繰り返しはくどい、と言った。この言葉だけで終わっていれば、この部分はただくどいだけの描写で終わっていただろう。ところが、最後をタ形で終わらせることによってリズムをクズことによって味を出している。また、鐘の描写が始まる前からこの部分の描写は全てル形なので、この部分全体のリズムの結びとしてもこのタ形は機能している。また、無二無三という言葉を解体して「ある時は無二に鳴らし、ある時は無三に鳴らす。」としてリズムをつくっているところも面白い。
 切れぬ筈だよ女の頸は恋の恨みで刃が折れる。(p.20)
 生へる白髪を浮気が染める、首を斬られりゃ血が染める。(p.20)
 この二つの文は、男が歌う歌の歌詞として書かれたものである。歌詞として意識して読むから意識してリズムをつけて読もうとするせいもあるだろうが、それだけでこの二つの文のリズム感を説明することはできない。では、どうしてこの文からはリズムを感じ取ることができるのだろうか。それは我々日本人が幼いころから和歌や俳句に慣れ親しんでいることに由来していると私は考える。一つ目の文は「切れぬ筈だよ/女の頸は/恋の恨みで/刃が折れる」と分けることができ、七七七五のリズムができている。また、二つ目は「生へる白髪を/浮気が染める/首を斬られりゃ/血が染める」となって、こちらも七七七五のリズムである。和歌や俳句とは七と五の並べ方が違うが、日本人の耳は七と五の組み合わせを一定のリズムとして捉えるようになっているようだ。



 私の感じた特徴的な文体はこのくらいである。全体的な印象として、この作品では出来事が淡々と述べられている印象を受ける。ル形が続いて最後にタ形でリズムを崩している箇所を指摘したが、そうではなくて、最後までル形で書ききっている箇所もある。倫敦塔の外見における描写にはリズムを感じられる部分が多かったが、内部に入り込んで後は、リズムを排除しているように思われる。あくまで私の読んだ感想であるが。

 私は以前に漱石の『坊ちゃん』を読んだことがあり、また『虞美人草』を読んだことがある。この『倫敦塔』という作品は、どうもこの二つの作品のおよそ中間にある作品ということができるだろう。『坊ちゃん』は軽い文体で書かれている。読んでいて難解な語句なぞは出てこず、巻末にあった注を参照せずとも、時代背景さえわかっていれば難なく読みこなすことができた。ところが、『虞美人草』はそういうわけにはいかない。漱石は固より知識人であり、特に漢籍についての知識量が多かった。そのため、『虞美人草』には漢籍から引っ張ってきたような難解な言葉が多い。読むときには必ず注を参照しなければ漱石が何を言わんとしているかが全く伝わってこない部分がある。『虞美人草』では、自分の知識をひけらかそうという思惑が漱石にあったのではないかと私は思うのだが。さて、この『倫敦塔』でも多少注に頼らないと読み解けない箇所はあるものの、それは時代による違いも大きいと思われる。私たちに馴染みがないだけ、という言葉もあるようだ。しかし、やはり『坊ちゃん』ほど簡単な文章ではない。しかし私は、この文体はいささか中途半端でつまらない気がするのだ。『坊ちゃん』の場合は洒落っ気があり、とても滑稽な文体が用いられていた。私が初めて読んだ漱石の作品は『こころ』であったのだが、本当に同じ作家が書いたのかと思うほどの洒落っ気だった。『虞美人草』も語彙の豊富さという点で、同じ作家かと疑ったのは同じである。だから、中間に位置する『倫敦塔』は物足りないように感じる。

 そう考えると、漱石は巧みに文体を使い分けている。今回は『倫敦塔』にだけ焦点を当てて考察をしてみたが、他の作品を考察してみても面白そうであるし、また、作品間の比較をしてみると、漱石という人を深く知る端緒となるだろう。



参考文献
『夏目漱石全集第二巻』「倫敦塔」1994年 岩波書店

(このレポートは、大学一年生時に課題提出用として執筆したものに加筆修正したものです。また、レポート中で一年生時に文学科開講科目「文章作成演習」で福澤先生にご教授いただいた内容に依る所がありました。この場を借りて、お礼申し上げます。)